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「お題だけ」で途方に暮れないために【解答例を書いてみた】

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2019/11/26

「書いてみた」という割には、例によって前置きが長かったりする。答え(の例のようなもの)を提示することが目的ではなく、考え方を示すのが僕の役割だと思うから。解答例は末尾に載せてある。



小論文で次のような設問タイプがよくある。

「○○について800字で述べよ」

設問の細部にバリエーションはあれど(「論ぜよ」「○○はどうか」など)、要するに「○○」というお題(テーマ)だけ与えられる設問形式。一言だけ教えられて放り出される感じで、サディスティックな問題タイプだと思う。ただし上記の場合、テーマは一つしか与えられていないから、単純ではある。仮にこれを「単層サディスティック」と呼ぶなら、それをちょっと捻って、もう一つのテーマをプラスする応用タイプがある。「二層サディスティック」とでも呼んでおけばよい。

単層だろうが二層だろうが、サディスティックな設問に対してのアプローチはどちらも、同じ考え方でけっこう書きやすくなる。それぞれの層の意味を自分で決めてしまえば良いのだ。

そもそも「○○について~」という設問を受験生が難しいと感じる理由は、設問を前に思考停止してしまうからだ。どうしてよいか分からず、まず身が固まり、次に頭も凍りつく(逆かな?)。まあ、そりゃそうだ。「だから何?」というのが初見の正直な気持ちだろう。考えるのも答えるのも「メンドクサイ」と反応するお年頃。お題だけ与えられても「う~ん……ウゼエ」と吐き捨てる気持ちは分かる気がする(僕がコドモだからだろうか)。でも、そういうものに対しても、ちゃんとしたアプローチ法はある。それは「分解」という考え方だ。それさえ知っておけば、一歩だけでも前に進む。

コンサルティングという職種がある。恐ろしい切れ味を持つ頭脳と知識、要領の良さを全て兼ね備えたモンスターが集まる。コンサルの人たちは課題を前にすると、どのように解きほぐしていけばよいかという「方法論」を身に付けている。「頭が良い」というのは色んな意味合いがあるけれど、その一つに「考え方を知っている」という側面がある。コンサルはその考え方をいくつか編み出していて、よく知られているものにロジックツリーという考え方(フレームワーク)がある。用語はどうでも良い。大事なのはその考え方。簡単に言えば課題を「分解」するのだ。課題に対していくつかの自問という光を当てる。代表的なものは「what(それって何?)」「why(なぜそうなる?)」「how(どうすれば~になる)」の3つ。課題に対して疑問文を自ら立てるわけだ。

お題だけが与えられる小論文の場合、それとまったく同じことをすれば「とっかかり」が見つかる。見つかる、というよりむしろ、自ら作る。そしてお題が与えられた設問タイプの場合は、たいていは「what」で片付けられる。テーマに対して「それは何だろう?」「どういうコトを意味しているのか?」「どんなモノを指し示しているのか?」と考えるのだ。

これを気取って言うなら「テーマの用語定義」と言い換えられる。何かについて話す、あるいは人に伝える場合、テーマの枠を絞り込み、何について語るかを決めないと、ただの雑談に成り下がる。逆に、その何かを限定して決めてしまえば、その範囲内で話すことになる。焦点の定まった話になる。それと同じで、テーマだけが与えられる小論文の場合、「○○とは、~という考え方や具体例を指しますよ」と自分が決めれば良いのだ。テーマについてフォーカスを定めるわけだ。あとは、その定義に対して社会的な根拠から自説を述べればよい。それで小論文の体裁が整う。ロジックさえ通っていれば、合格点は取れる。



では具体的にどうやって考えるか、実際にやってみよう。Twitterのタイムラインに流れてきたツイートで、その解説や解答例がとても勉強になる方で、やりとりさせていただくようになった。


お湯 on Twitter

“「芸術には規則がなくてもよいか」 (800字程度) (大阪教育大学2012年度後期問題G設問1) 今回は芸術系の小論文問題です。1行問題は難しいです。皆さまのご意見を聞かせていただければと思います♨”


テーマの一つの層は「芸術」。もう一枚の層は「規則」だ。では早速、用語定義してみる。


「芸術」とは何か?


この自問に対し、いい加減でも当てずっぽうでも良いから、スラスラと何か出てこないとしたら、それは「芸術」という言葉が「あなたの言葉」になっていないからだ。つまり、小論文を書くための基礎体力としての「言葉力」が足りないのが原因。もしそうなら、巷に溢れる「現代文用語集」で知識を仕入れるのが先。僕なら「芸術」という言葉を次のような定義づけをする。

・デザイン(意匠、工夫)とは異なる

・個人の志向や感性が強く打ち出されたもの

・絵画、音楽、工芸など

・時間の洗礼に耐えている(埋もれていない)

・フランスでは「マンガ」がアーティスティックな対象として認知


これらに対し、社会的な観点から一歩掘り下げた用語定義をする。時空軸で二項対立を分けると考えやすい(この点については、いずれどこかで詳しく書きたい)。

・西欧における中世芸術は宗教や教会、貴族がパトロンになって生み出された

・その当時の芸術は個人の志向を背後に抑えていた

・近代になって「神は死んだ」ので個人の思うままに表現するように変化した

・日本においてもやはり、社会制度によって生み出されたものがほとんど(いとをかし、とか)

・やはり明治になって個人の意思表示という側面が強くなる

・どちらも共通点は「社会が生み出した」と言える

用語定義(○○は~だ)のはずが、次第に文章に変化していることが分かると思う。考えていくうちに、何か言いたくなってくるのだ。文章を書く前のメモ作成が成功している証(僕の場合は、だけど)。


さあ、もう一つの用語である「規則」も同じように分解してみる。


「規則」とは何か?


いや、ちょっと待てよ。「規則」ってそもそも「社会性」を含んでいないか? だって無人島でたった一人生きるなら、規則は不要のはずだ。なぜ僕が突然そのように考えたかというと、「規則」という言葉を次のように言い換えたからだ。

= ルール

= 強制力

= 制限

直観だけど、これはけっこう使える視点だと思った。歳を取ると誰も褒めてくれないから、最近は自分で褒めるようにしているのだ。


また、ここでちょっとしたヒントだけど、同じことを堂々巡りで考えてしまうのを防ぐために、Aを考えたらアンチAも考えてみる。要するに二項対立で何か言おうとしてみる。その路線で考えると……?

・社会の中で生きていく人にとって必要なもの(守ることが求められているもの)

・個人ではなく全体を秩序づけるために必要な強制力(校則とか法律、憲法)

・結果を出すために最も有効な枠組み(規則があるから社会はうまくいく)

・個人を縛るもの

・多様性を抑える存在

・秩序の反面として自由を束縛するもの



このあたりまで列挙していくうちに、僕は一つの対立に気が付いた。現代にとっての芸術は自由なもの(個人の意思表示)だけれど、規則は社会のために個人を縛るものだから、両者は相反する対立存在ではないか、と。今回は、それで論を立ててみようと思う。でもいきなり書く前に、一言で主張をまとめてみる。


【主題文】

芸術にとって規則は自由を制限するものとなり、規則はなくてよい。


「主題文」という言葉遣いは、石原千秋氏の主張に則っている。これもいつかどこかで、その考え方をまとめたい(というか石原氏の論を広めたい)。ここでは簡単に「もっとも言いたいことを表した文章」だと理解してほしい。主題文が作れれば小論文は書ける。必ず。7割くらい完成したようなものだ。

残りの3割はテクニカルな分野。小論文の書き方に属する。10本も書けば何となく分かってくる。20本書けばスピードが上がる。30本書いたら楽しくなってくる。テクニカルな部分については巷に参考書が出ている気がするし(出てる……よね)、ここで「書き方」を説明する余裕はないので割愛。これもどこかでまとめたいと思っているけど。



【解答例】


芸術に規則は不要である。

かつての芸術は宗教や社会制度の制約と影響を強く受けた。たとえばダ・ビンチはダヴィデ像を制作したが、そのモチーフは聖書に由来する。キリスト教の普及を目的に、教会が「発注」したものが芸術作品として現代に残っている。あるいは「源氏物語」は宮廷におけるエンターテイメントであり、貴族社会がなければ生まれ得なかった作品である。それらは時の洗礼を潜り抜け、現代に残る芸術である。

だがその後、ダ・ヴィンチのように宗教に抵抗する芸術が出てきた。「神は死んだ」と言われ、神が統一する世界観から、印象派のような個人の世界観に基づく芸術が生まれた。芸術の価値観がシフトしていったのだ。すなわち、物の見方は神ではなく、個人の自由に委ねられた。現代では芸術といえば、心の衝動や本能を表現する手段として考えられているのが一般的である。抽象画のように、他者には伝わりにくくても、それが表現者の心の内を表しているものなら、芸術としての位置を確立できるのである。

ところが、規則という存在は社会を前提とした考え方である。独り暮らしする自己にとって「~してはならない」という強制力は必要はない。自分一人の生活ならば、規則がなくても誰かに迷惑をかけることはない。一方、他者と共に暮らす社会においては、規則はなくてはならない。それぞれの個人のモラルに頼り、性善説に依拠して社会を営んでは破綻する。だから社会は様々な規則を個人間に挟んできた。社会全体を維持し発展させるために、個人をある程度犠牲にし、時には強制力を社会に認めてきたのだ。個人間レベルでは互いの権利を侵さない規定を設け、国家間においても国際的な規則を全体で認めている。規則がなければ社会は成り立たないのだ。

芸術が個人に依拠し、一方で規則は社会のために存在している。したがって両者はそもそも、相容れない存在なのだ。


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