『讃岐典侍日記』「かくいふほどに、十月になりぬ」の現代語訳('24東京大学 文科・理科 出題)

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2024/10/24

極力意訳を排除し、原文に忠実に現代語訳を行っています。

いわゆる文学的な読み方ではなく、語学的な読み方ですので、書いてあるままを解釈しており、現代語の文体との乖離があります。主語や他の成分もほとんど補っていません。

(無理に補わなくとも正しく読むことができれば、誤った解釈にはならないことに気づいてもらいたいと思っています。)

再現性の高い訳出であるため、現代語訳の対策、もしくは文法の確認目的でお役立ていただけると思います。


現代語訳


こういううちに、十月になった。「弁の三位(=鳥羽天皇の乳母)からお手紙」と言うので、取り入れて見ると、「長年、宮仕えをなさるお気持ちのめったになさなどを、よくお聞き置きになったからであるからだろうか、院(=白河上皇)から、この宮中にそのようである人が重要である、すぐに参上するべき旨、御命令があるので、そういう気持ち(=心づもり)をなさいませ」とあるの(=ある手紙)を見ると、驚きあきれるほどで、見間違いかと思うまで途方にくれずにはいられなかった。(堀河天皇が)ご存命だったときから、このように(=喪に服して宮中に参上しないと)申し上げたが、どのようにもお返事がなかったので、そうでなくてもとお思いになったのであるだろうか、それ(※1)を、はやく(=まだか)と言うような顔で参上するようなことは、驚きあきれるほどだ。周防の内侍が御冷泉院に先立たれ申し上げて、御三条院から、七月七日に参上するべき旨を命令され申し上げた(※2)ときに、

天の川……(=天の川を、同じ流れと聞きながら渡る(※3)ようなことはやはり悲しい)

と和歌に詠んだとかいうことは、確かにと思わずにはいられない。

「故院(=堀河天皇)の忘れ形見(=鳥羽天皇)には、見たいほどだと思い申し上げるけれど、出仕するようなことは、やはりあるべきことではない。昔出仕したときすら、晴れ晴れしさを感じたが、親たちや三位殿(=筆者の姉)などを利用してすることができる(※4)ようなことよと思って、言うべきことではなかったので、心の中だけで、思い乱れた。本当に、これ(=今回の出仕)も、自分の気持ちには任せないともきっと言うに違いないことであるが、また、出家をしたとお聞きになれば、そのようにまで(私のことを)重要にお思いにならないだろう」と思い乱れて、もう少しここ数か月よりも悩みが増えた気持ちがして、「どんな機会(=出家の機会)をとりだそう。そうはいってもやはり、自分から出家するようなことは、昔の物語でも、このようにした人を、人々が『うとましい心よ』などと言うようだ。自分の気持ちでも、本当にそのように思わずにはいられないことであるので、そうはいってもやはり真面目には決心しない。この様子で自分の気持ちで弱っていけよ(※5)。もしそうなら、かこつけて(=それを言い訳にして)」と思い続けずにはいられなくて、数日経つと、「乳母たち(※6)は、まだ六位で、五位にならない限りは、何かを差し上げないことである(=天皇の食事の世話ができない)。この二十三日、六日、八日が良い日だ。はやく、はやく」とある手紙を、何度も目にするが、決心のできる気持ちがしない。

「過ぎた年月すら、一身上の悩みのあとは、人などに会って交流する姿になく、見苦しく痩せ衰えたので、どうしてしまおうかとだけ思ったが、お気持ちのすばらしさに、宮中の人びとのお気持ちも、三位(=鳥羽天皇の乳母)がそのようにしておっしゃるので、そのお気持ちに背かないようにしようとか、とるに足らないことにつけても、気遣いせずにはいられない状態でだけ過ごしたが、今さら出仕して、見た時(=かつて私が出仕していた時)のようにいるようなことは難しい。君(=鳥羽天皇)は幼くいらっしゃる。そうして『見慣れたことよ』とお思いになることもないだろう。そのようであるだろうから、昔だけが恋しい状態で、ちらっと見るような人は『よい』とはないだろう(※7)」などと思い続けると、袖が隙間なく濡れるほど涙が止まらないので、

乾くまも……(乾く暇もないほど涙で濡れる喪服の袂だなあ。ああ、昔の堀河天皇の忘れ形見と思うと)


※1 「それを」の指示対象が難しい。原文「それを、いつしかと言ひ顔に参らんこと、あさましき」とある。この用言の中で「ヲ格」を導くのは「言ふ」のみであるため、「それを、『はやく(まだか)』と言う」という文構造になっている。「それ」について「はやく(まだか)」と言うと考えれば、それ=「喪が明けること」と解釈できる。


※2 原文「おほせられける」の訳が現代語に存在しない敬語表現に当たるため、訳出が困難。「おほせらる」は一語で「おっしゃる/ご命令になる」の意も存在するが、今回は「御三条院より、~~べきよし(を)、おほせられたりけるに」という格支配を考えると、「おほす」+「らる(受身)」と考えることが適切である。「敬語本動詞+受身」の形は敬意対象が文全体のガ格ではなく敬語本動詞の意味上のガ格になるため、現代語の同一の箇所を敬う表現として「命令され申し上げる」という非常に苦しい訳出を行った。


※3 「天の川を、同じ流れと聞きながら渡る」は「帝」を「天の川」に喩えて、「同じ血が流れている(兄弟である)帝だと聞きながら出仕する」の意味。


※4 原文「親たち、三位などしてせられんこと」の「られ」は本来自発としてとらえるべき箇所であるが、文意が取りづらくなるため、学校文法の範囲内で可能にすり替えて訳出した。自発は「自分の意志でないこと」を表す表現であり、今回は「親たち、三位など」の立場がそれなりにあったために、自分が堀河天皇のもとに出仕することに勝手に決まった、のような意味と考えられる。「して」は使役対象を表す表現であり、今回は「親や姉(の地位)を利用(=使役)して」のようなニュアンスとなるが、本人の意志が存在しない文脈であるため、「利用する」とも言い切れず、解釈が難しい。正確なニュアンスを可能な限り汲むと「親や姉の立場を利用する形となって、知らず知らずのうちに出仕することになる」とでもなるか。


※5 原文「かやうにて心づから弱りゆけかし」の「かやうにて」は「この様子で」の意で、「あれこれ思い悩んでいる私の今の様子」を指す。「心づから」は「身づから=自ら」「手づから」と同じく、「~づから」で「自分の~を使って」の意。直訳すると「自分の心を使って」という意味になる。自分の心は現状非常に思い悩んでいるもので、その「心」を利用して身体までも弱っていけ、という意味。とはいえ、それでは訳したことにならないため、意訳では「この心理状態によって」などとするとわかりやすい。


※6 原文「御乳母」とあるが、この「御」は所有者を敬う敬意で、鳥羽天皇御付きの乳母が鳥羽天皇の所有物と見なされていることがわかる。(同様の例として、『源氏物語』で葵に憑りついた六条御息所の生霊を、「御もののけ」と表記する例があるが、これももののけの憑依先である葵がそのもののけを所有していると見なされている変わった例である。勘違いしがちだが、もののけそのものに敬意を払っているわけではなく、所有者である葵に対する敬意となる。)つまり「御乳母」の「御」は所有者の鳥羽天皇に向けられたものとなっているが、現代語では「乳母」を世話される人間の所有物とは見なさず、現代語にそのまま残すとわかりにくくなるため、今回は外して訳出した。


※7 原文「うち見る人はよしとやはあらん」の「うち見る」は「うち見るより」の形で「ちらっと見る」の用法で当時定着しているようである。そこから「うち見」などの発展形が登場していくことを踏まえて、「うち見る人」を「ちらっと見る人」と訳出した(厚顔にも出仕してきた私のことを、事情を知らずにちらっと見かける程度の人、のニュアンス)。「よしとやはあらん」で反語形となっており、「『よい』とはないだろう」と直訳される。「ちらっと私のことを見かけた人は、私がはやくも出仕してきたことを、よいことだとは思わないだろう」という意味。世間体と法皇からの命令の板挟みに苦しんでいる筆者の様子が語られている。

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