国語を「ガチで解く」にまつわる「・・・」
皆さん、ガチで解いていますか?
こんにちは!マナリンク国語講師内田と申します。明日で対面授業の受験生も終わります。この時期、とんでもない数の入試問題をガチで解きましたので、その辺の事情についてお話ししたいと思います。
例えば、こんな問題がありました。法政大学接続語の問題で選択肢に「それなのに」と「しかし」が並んでいました。正解が「しかし」ならば、納得がいきます。なぜならば、「しかし」は逆接のオールマイティー札、いわゆる「ジョーカー」みたいな札だからです。「それなのに」は「それ」に相当する指示内容が前にハッキリあること、後ろの内容との接続・語感が合うことといった条件を満たしてこそ、初めて入れられる接続語です。
さて、こちらの入試問題。「それなのに」が入れられる文脈でした。そして、「それなのに」が正解でした。😭😭😭💨(赤本は問題本文を持ってきてカンニングしますから、接続語に間違いはないのです!)
嫌な予感はしましたが、私は「しかし」を解答にしました。この間違いは覚悟の上でした。なぜならば、私の頭の中には「過去の入試問題の統計」がビッチリ入っているからです。また、生徒様に解説するときに「しかし、を選んでおきなさい!」としか解説しようがないからです。
こういった違和感は、「ガチで解き続けた講師」にしか分かりません。私はこの業界に入って「東京大学の国語」を担当することになったとき、「私は東大受けてもいないし、受かってもいないんだよなぁ」というのが正直なところでした。ならば、「東大の採点基準を研究してみよう!」と考え、Z会の通信添削にガチで答案を書き続けました。結果は54位→6位→1位、それ以降の月はずっと1位を譲りませんでした。採点基準がつかめ、採点官が採点しやすいよう答案を書き続けたからです。(その年の受験生は、私の名前に記憶があるでしょう😆)
私はこういった感受性で仕事を行っています。すべて、ガチで入試問題を味わっております。先日、千葉大学を受ける学生様から質問を受け、ガチで解く機会を得ましたが、「要求水準が高すぎる、時間が足りなすぎる、古文漢文の注釈を削りすぎていて、分からないことが多すぎる」といった感想を持ちました。生徒様には「ガチの正直な感想」を述べ、「この問題を与えられて、どう振舞えば受かるのか?」ということについて、話しました。
「もっと、雑に解きなさい!分からない場合は、何か書きなさい。それについては、いちいち考えず先に進みなさい!きちんと解ける問題をきっちりとって、そこで差をつけて行きなさい!」。そういった、アドバイスをしました。注釈が足らない古文漢文には、解けない問題が含まれていました。講師の方、ちゃんと自分の力で解いていればそのことに気づけるはずなのに、解答や現代語訳をカンニングして「この問題はこうやって解く」風の解説をやっていませんか?
まずはガチで解く。模試に参戦する。カンニングをしない。時間制限通り解く。こういったことの積み重ねが、「正しい解説」の源となっているのです。
(こういった今の私の姿勢を作ってくださった恩師の話は、いつか書きます!😅)