【コラム】遠ざかる懐かしき友の声

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2023/2/14

実家の部屋に一枚の写真を飾っている。

色褪せ、くたびれた写真紙の縁が時の流れをささやく。

小学校の卒業式、着慣れない正装とは不釣り合いな、満面の笑顔を浮かべた自分と、肩を組んでピースする少年。

幼馴染だ。

付き合いは6歳の頃から始まった。

あっけらかんとした、裏表の無い性格だった。

ガキ大将肌で、勝ち気で、私が生まれてはじめて取っ組み合いのケンカをしてしまったのは、彼とである。

そのざっくばらんさが故に、思わず苛立ってしまうこともあった。

高校生の頃、久しぶりに会った時のことだ。

思春期の性ともいうべきか、社会に反抗的な擦れたような、斜に構えるような態度になっていた。

私が大学受験を目指していると告げると一笑した。

なぜ今更つまらない勉強なんかするんだ、もっと面白く生きりゃいいじゃないか。と言い放った。

私自身、青春を謳歌するような青臭い未熟な年齢だったこともあり、腹を立ててしまった。

自分だけでなく、精一杯頑張っている仲間すべてを、軽い気持ちで馬鹿にされた気がしたのもある。

後には少年時代に築いた友情が儚く消えてゆく寂寥感だけが心を支配した。

それでも、成人して、久しぶりの再会を果たした時、怒りの気持ちは全く無かった。

私自身がほんの少しだけ、大人になっていたのかもしれない。

彼はギターを背負って地方を渡り歩く放蕩生活を送っていた。

やっぱ金が無くてつらいよなあ、と呟くので、ビールを奢った。

頬を赤くして笑顔を見せる表情が、幼い日の面影を思い出させてくれた。

二十歳は複雑な年齢である。

日常の不満、将来の不安、酒の勢いもあり、頭の中でぐちゃぐちゃに絡み合った感情を私が吐露したとき、今まで顔を赤らめて笑っていた彼が一瞬だけ真剣な表情を見せた。

ほんの一瞬だった。

その次にはまたいつもの笑顔に戻った。

そして、呟いた。

「大したこたねえよ、どうにでもなる、大丈夫さ。」

今になって思えば、愚痴をこぼす幼馴染にではなく、自由を謳歌した気ままな生活を送りながらも、ふと心に迷いが生じる自分自身に向けたかった言葉だったのかもしれない。

投げやりで、心遣いに欠けた、でも彼らしい前向きな言葉だったと思う。

それから少し経って、彼の訃報が届いた。

夏の日、バイクで事故にあったのだという。

知らせを聞いてすぐに彼のSNSを覗くと、更新が1時間前となっていた。

ほんのついさっきまでは生きていたのだ。

葬儀で「対面」したときも、全く実感が湧かなかった。

まだすぐ近くにいるような気がした。

手を伸ばせばすぐに届く場所。

しかし、私が躊躇って届かない。

そんな心境だった。

家で仏壇に手を合わせても、翌年墓参りに行っても、友人の死は自分の中では非現実的だった。

本当の意味で「別れ」を感じたのは、それからさらに時が経ってからである。

夢の中で彼と会ったのだ。

なにも言わずに笑っていた。

なぜお前がここにいる?

なぜ死んだはずの人間と自分は顔を合わせている?

なぜ?なぜ?なぜ?

彼の表情はすべてを理解しているようだった。

私が驚いている理由、自分がここにいる理由。

しかし、なにも言わなかった。

懐かしい笑みだけがそこにあった。

その瞬間、私は彼の死を受け入れた。

もう届かない遠い世界に行ってしまったのだと、理解した。

言い換えれば、友の死と「邂逅」したのだ。

そうして目が覚めた。

友人が夢に現れたのはその一度きり、そして夢を見ながら泣いて目を覚ましたのも、人生でその一度だけだ。

友の死というものは、決して誰にも経験はして欲しくはないが、自分を成長させてくれる、切ないながらも力を感じるのである。

私は今、教育業界に携わる。

時として煌びやかにも見えるこの世界は、実は熾烈である。

嫉妬、愛憎、欲望の渦。

コンプレックスに心が捻り潰されそうになっても、なお立ち上がって戦わなければ、誰も助けてはくれない世界。

そんな世界で、絶望的な孤独に打ちひしがれても、ふと、友人の声が蘇ることがあるのだ。

「大したこたねえよ、どうにでもなる、大丈夫さ。」

だから、私は再び顔を上げることができる。

死者は死しても、なお生きている。

綺麗ごとなんかではなく、本当にそう思う。

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