「恥ずかしい塾」を「誇れる場所」に変えた、ある合理的な格闘の記録
「負け組」と呼ばれた場所での、ある残酷な告白
僕がかつて配属されたのは、地域でも有名な「負け組の塾」でした。生徒数は右肩下がり、活気という言葉からは程遠い、沈滞した空気が漂う校舎。
そこで初めて面談した保護者の方から言われた言葉は、今でも僕の胸に棘のように刺さっています。
「うちの子がこの塾に通っていることは恥ずかしいので、他の方には絶対に言わないでください」
それは、教育者として最も屈辱的な言葉であり、同時にあまりに切実な悲鳴でした。生徒たちも「ここなら楽だから」「先生が厳しくないから」といった消極的な理由で通い、同級生からは「あそこの塾に行っているやつは勉強ができない」というレッテルを貼られている。彼らの自尊心は、ボロボロの状態でした。
さらに、ある先輩講師からは「生徒数がこれ以上減ったら、責任をとって辞めてしまえ」と宣告されます。経営側ではない一講師に対してはあまりに理不尽な通告でしたが、僕はそこで、ある覚悟を決めました。
精神論を捨て、「再現性」という論理に賭ける
そんな僕を救ったのは、別の先輩からの極めてドライで、かつ本質的な一言でした。
「クラスにいる生徒の成績を上げれば、すべては解決する」
至極真っ当な正論です。生徒が変わり、結果が出れば、周囲の視線も、親御さんの不安も、そして僕自身の進退もすべて好転する。そこから僕は、感情論や根性論を一切排し、**「どうすれば勉強が苦手な子が、確実に、再現性を持って点数を取れるのか」**というパズルを解くことに没頭しました。
その結果、偏差値50に届かなかった生徒たちは、最終的に全員が58以上、中には60を超える精鋭へと変貌を遂げたのです。僕がその時に確立し、今も大切にしている3つの合理的アプローチをご紹介します。
1. 家庭学習の「迷子」をゼロにするレシピ化
授業で「わかった」つもりが、家では解けない。これは学習における「あるある」ですが、放置すれば致命傷になります。 僕は、市販の教材の全問題に対して、**僕自身の思考プロセスを再現した「手書きの解答解説」**を作成しました。料理に例えるなら、完成写真だけでなく、包丁の入れ方や火加減のコツをすべて書き込んだ秘伝のレシピです。これを渡すことで、家での「空白の時間」を消し去りました。
2. 「説明」を削ぎ落とし、「集中」を研ぎ澄ます
皮肉なことに、講師が丁寧に説明すればするほど、生徒の脳は停止します。僕は解説を最小限に抑え、代わりに「計測」を導入しました。 計算や文章題に制限時間を設け、「用意、スタート」の合図で一斉に解かせる。このゲームのようなスピード感は、生徒の脳を強制的に「実戦モード」へと切り替えます。
3. 「対話」よりも「観察」を重視する
個別指導の真髄は、生徒の口から出る言葉ではなく、「ペンが止まる瞬間の挙動」にあります。 10分、20分と生徒の解く様子を静かに観察し続ける。すると、どの概念が抜けているのか、どの計算でミスを誘発しているのかが、精密検査の画像のように浮かび上がってきます。この観察眼は、現在のオンライン指導においても、画面越しの微細な変化を察知する力として役立っています。
日常を「学び」に変える、たった2つのステップ
もし今、お子さんの学習状況に絶望に近い感情を抱いているなら、まずは次の2つだけを試してみてください。
ステップ1:学習時間を「秒単位」で計る 「30分勉強する」のではなく「この5問を3分で解く」と決める。スピードを意識するだけで、脳の回転数は劇的に上がります。
ステップ2:教える時間を「5分以内」に制限する 親御さんは、教えすぎてはいけません。ヒントを小出しにし、最後は「自分の力で解けた」という錯覚を(たとえ誘導であっても)持たせることが、最大の報酬になります。
結びに:境界線を超えて、その先へ
かつて「恥ずかしい」と言っていた保護者の方々は、数ヶ月後、笑顔で塾に送り出してくれるようになりました。生徒たちが失っていたのは「能力」ではなく、単に「勝ち方」を知らなかっただけなのです。
僕は現在、神奈川を拠点にしながらオンラインで全国の生徒を指導していますが、あの「負け組の塾」で得た確信は揺らぎません。学年の枠にとらわれず、必要な概念を必要なタイミングで取り入れる。それは、僕が自分の娘に対しても意識している、教育における「合理性」の追求でもあります。
勉強は、本来残酷なものではなく、自分の境界線を広げていく知的な冒険であるはずです。もし、あなたが今、その冒険の途中で立ち往生しているなら。
僕と一緒に、その「壁」の壊し方を考えてみませんか。