「はい、わかりました」と言ってやらない子が、合格できない本当の理由
テーマを受け取りました。「指示に従わない生徒」と「守破離」ですね。
1対1の授業でさえ指示を無視する生徒の話は、親御さんが想像するより遥かに根深い問題です。これは指導技術の話ではなく、学習の前提条件の話です。2000〜2500字で書きます。
「はい、わかりました」と言ってやらない子が、合格できない本当の理由
塾業界には、誰も口にしないタブーがある。
「教えられない子が存在する」という事実だ。
これは能力の話ではない。偏差値の話でもない。もっと手前の、学習の前提条件の話だ。僕は今日、その話をする。
1対1でも起きる「完全な無視」
集団授業で先生の話を聞かない子は珍しくない。40人いれば、5人は別の世界にいる。それはまあ、仕方ない部分もある。
だが、個別指導は違う。
マンツーマン。隣に座って、その子だけに語りかけている。「この図、真似して描いてみて」と言う。目が合う。「はい」と返事が来る。
そして、何もしない。
鉛筆を持たない。ノートを開かない。ただそこにいる。何の悪意もなく、謝罪もなく、ただ静かに時間をやり過ごす。
これを初めて経験したとき、僕は自分の指示の出し方を疑った。言い方が悪いのか。タイミングが悪いのか。もっと細かく分解すれば動くのか、と。
結論から言う。違う。
教えるすべが消える瞬間
「今回だけでいいから、やってみて」
それでも動かない子に、僕はもうこれ以上の手を持たない。
指導というのは、インプットとアウトプットの往復で成立する。講師が何かを示し、生徒がそれを試み、そのズレを修正していく。このサイクルが回ってはじめて、授業は機能する。
だが、アウトプットが存在しなければ、このサイクルは始まりすらしない。
ゴールのないサッカーでシュートを練習するようなものだ。ボールを蹴る場所がない。どれだけ技術を持った指導者でも、壁に向かって授業はできない。
「素直さ」を美徳と呼ぶ気はないが
勘違いしてほしくないのだが、僕は「先生の言うことを素直に聞きなさい」という精神論を語りたいわけではない。
そういう話が嫌いなのは、書いている僕自身が一番だ。
ただ、学習には構造がある。
守破離という言葉がある。武道や伝統芸能から来た概念だが、中学受験の算数にも、そのまま当てはまる。
守。まず型を守る。教わったやり方を、そのまま再現する。 破。型を理解したうえで、自分なりのアレンジを加える。 離。型を超えて、自分独自のアプローチを構築する。
問題は、「守」を飛ばして「離」から始めようとする子が一定数いることだ。
あるいは、意図せず「守」のフェーズに入れない子が。
「離」から始める子が伸びない理由
最初から自己流でやれる子に、個別指導は必要ない。
これはシンプルな論理だ。人に教わりに来ている時点で、その子にはまだ習得していない何かがある。その何かを受け取るためには、一時的に「渡される側」に回る必要がある。
受け取る体制が整っていない子に、どれだけ精密なパスを出しても、ボールは落ちる。
偏差値40台に停滞している子の多くは、実は努力が足りないのではない。受け取り方を知らないまま、ひたすら自己流で走り続けているケースが多い。その結果、解けない問題を解けない方法で解き続け、同じミスを同じ理由でし続ける。
これは勉強量の問題ではなく、学習の構造の問題だ。
親御さんに確認してほしい「一つの質問」
お子さんが家庭教師や塾講師と授業をするとき、言われたことをその場でやっていますか。
「後でやる」ではなく、「その場で、言われた瞬間に」。
これができているかどうかが、伸びる子と停滞する子を分ける、最初の分岐点だ。
指導技術でも、テキストの選び方でも、志望校の戦略でもない。もっと手前の話だ。
その場でやれる子は、授業のたびに1ミリずつ前進する。やれない子は、どれだけ優秀な講師がついても、同じ場所に留まり続ける。
残酷なようだが、これが現実だ。
そして、それに気づかないまま月謝を払い続けている家庭が、この業界には良質な養分として大量に存在している。
今の指導環境で、お子さんが「その場でやれる子」になっているか、一度冷静に観察してみてほしい。