「問題を深く理解しろ」は誰への言葉か
中学受験に関する本を読むと、必ずといっていいほど同じ言葉が出てくる。
「問題を正確に把握し、作問者の意図を読め」 「公式を暗記するだけでなく、その本質を理解せよ」 「深い理解があってこそ、応用問題にも対応できる」
どれも正しいことを言っている。反論する気はない。
ただ、ひとつだけ確認したいことがある。
その言葉は、いったい誰に向けて書かれているのか。
「理解できる子」は、最初からできている
少し意地の悪い問いかけをする。
問題を読んで作問者の意図を自然に汲み取り、公式の背景にある構造を直感的に把握し、初見の応用問題でも筋道を立てて思考できる子。
そういう子に対して、「もっと深く理解しなさい」と声をかける必要があるだろうか。
ない。その子はすでにやっている。誰かに言われる前から、そういう頭の使い方をしている。指導書に書かれた「理想の学習者像」とは、つまり、最初からそれができている子の話なのだ。
偏差値60を安定してとる子の思考プロセスを後から言語化して本にすると、ああいう文章になる。それはドキュメンタリーであって、マニュアルではない。
偏差値40台の子に「深く考えろ」と言うとどうなるか
現場で確かめてみればわかる。
「問題をよく読んで、作問者の意図を考えてみよう」
この言葉を偏差値40台の子に投げかけた結果、何が起きるか。大抵の場合、子どもはただ問題文を二度読む。そして、さっきと同じ場所で詰まる。
「よく読む」という行為が何を指すのかが、そもそもわかっていないからだ。「作問者の意図」という概念自体を、自力で操作できるレベルに分解できていないからだ。
深い理解を求めることは正しい。だが、その前に越えなければならないステップがある。そのステップを飛ばして「深く考えろ」と言うのは、泳げない子を海に放り込んで「水の感覚を体で覚えろ」と言うのと同じだ。溺れるだけである。
僕たちの仕事は「理想の再現」ではない
中学受験の指導書が描く「理想の学習者」は、偏差値65以上の子どもを念頭に置いていることが多い。あるいは、著者自身がそのレベルで学んできたため、無意識にその前提で書いている。
これは著者を批判しているわけではない。自分が体験した学び方を言語化すれば、自然とそうなる。
問題は、その本を手に取る読者のほとんどが、そのレベルにいないという事実だ。
偏差値40台に停滞している子に必要なのは、「深い理解の促し」ではない。深い理解に「近づけるための足場」だ。
本質的な理解に至れない子を、理解している子と同じ結果に近づけるための、別の経路。それを設計し、実行することが、塾講師や家庭教師の本来の仕事だと僕は思っている。
「近似値」を積み上げる戦略
では具体的に何をするか。
たとえば、割合の問題で「なぜ÷をするのか」を感覚的に理解できない子がいたとする。その子に「なぜそうなるかを理解しなさい」と言い続けても、理解は来ない。
代わりに僕がやることは、パターンの整理だ。
「この形の問題は、大きい数を小さい数で割る。これだけ覚えろ」
まず手が動くようにする。手が動くようになると、問題を何度も解く機会が生まれる。繰り返しの中で、なんとなく「そういうものか」という感覚が育ってくる。完全な理解ではない。だが、「全くわからない」から「なんとなくそういうもの」への移行は、偏差値として確実に数字に現れる。
これは妥協ではない。戦略だ。
理解を最終目的地として置きつつ、そこに至る最短経路として「動ける状態」を先につくる。本物の理解者に追いつくための、意図的な迂回路だ。
「その子にとっての最善」を設計する
誤解してほしくないのは、僕は「暗記だけでいい」と言っているわけではないという点だ。
深い理解を目指すことは、正しい。その方向性は変えない。
ただ、「今この子に深い理解を求めることが、本当にその子の助けになるか」は別の問いだ。
適切な順番がある。適切な負荷がある。その子の現在地から始めて、次のステップを設計する。それをやらずに「理解しなさい」と言い続けることは、方向性は正しくても、手段として機能していない。
方向が正しくても、届かなければ意味がない。
指導書の理想は参照する。だが、それをそのまま現場に持ち込む前に、「今目の前にいるこの子に、それは有効か」を問い直す。その習慣が、偏差値40台を50台へ、50台を60台へ動かす鍵だと僕は考えている。
なお、「深い理解を促せる指導者」というのは確かに存在する。そしてそういう指導者に習える子は、幸運だ。
問題は、その指導者が授業でやっていることを本にしても、「再現できる読者」がほとんどいないという点にある。
その本が売れているということは、それだけ多くの家庭が「自分の子もそうなれるはず」と信じているということだ。信じること自体は否定しない。だが信じているだけでは、偏差値は動かない。
動かすためには、今の子どもの現在地から設計し直す必要がある。
個別に戦略を組みたい方は、こちらからどうぞ。
マナリンク|ヒロユキ講師プロフィール