例題が解けても類題で詰まる子の共通点
算数の授業でこういう場面がよくある。
例題は先生と一緒にやって「わかった」。でも類題を一人でやると手が止まる。それどころか、どこから手をつければいいかすらわからない。
「理解が浅いんですよね」と親は言う。
違う。理解の問題ではなく、例題の使い方を知らないだけだ。
「類題」という漢字の意味を知っているか
類題の「類」は、類似の類だ。「似ている問題」という意味になる。
つまり類題は、例題と同じ構造を持つ問題として教材に配置されている。出題者がそう設計しているのだから、例題が本当に理解できていれば、類題は解けるはずなのだ。
それでも詰まる。ということは何を意味するか。
例題が「本当には」理解できていない、ということだ。
例題を「見る」のと「使う」のは別の行為
授業中に先生と一緒に例題を解く。式の流れを目で追う。「なるほどそういうことか」とうなずく。
ここまでは「例題を見た」に過ぎない。
「例題を使える」とは、次に似た問題が来たとき、例題の構造を自分の手で再現し、数字だけ差し替えて正解を出せる状態を指す。
この二つの差は、受験の現場では致命的になる。
困ったら例題に戻る、という当たり前を知らない
類題で詰まったとき、多くの子がやることがある。
もう一度問題文を読む。考え込む。違うアプローチを探す。
やらないことがある。
例題に戻ること、だ。
僕が授業中に繰り返し言うのはここだ。「この類題は何に似ているか。例題に似ているだろう。わからなければ例題を見ろ」。
類題は例題のコピーとして存在している。設計図は例題の中にある。なのにその設計図を参照せずに、更地から建物を建てようとするから詰まる。
正しい例題の使い方、三段階
例題を先生と一緒に解く。式の流れ、単位の書き方、計算の順序をすべてノートに写す。
類題が来たら、まず例題と「どこが同じで、どこが違うか」を確認する。数字が変わっているだけか、問われていることが変わっているか。
例題の手順を類題にそのまま当てはめて、数字を差し替えて解く。
これだけだ。
難しいことは何もない。ただ、例題を「見るもの」ではなく「使うもの」として扱う習慣があるかどうかの差だ。
「自力で解く」を優先する子どもの勘違い
類題で詰まっても例題を見ない子には、一種の美学がある。「自力で考えるべきだ」という信念だ。
この美学は、受験においては有害だ。
自力で考えることが重要なのは、例題の構造を完全に習得してからの話だ。まだ習得できていない段階で例題を参照しないのは、地図を持っているのに地図を見ずに登山するようなものだ。遭難するだけで、登山の技術は何も身につかない。
使える道具は使う。それが戦略というものだ。
例題は道具だ。困ったら即座に開く。それが正しい例題との付き合い方だ。
明日、確認してほしいこと
子どもが類題で詰まったとき、次に何をするか観察してほしい。
例題を開くなら合格。頭の中だけで考え続けるなら、今すぐ矯正が必要だ。
習慣は一日で変わる。次に詰まった瞬間に「例題を見ろ」と一言言うだけでいい。それを繰り返すことで、例題を参照することが自然になる。
小さな習慣の差が、半年後の偏差値に確実に出る。