解答解説が自分で読めるか。合否を分けるたった一つの基準
僕がこれまで集団塾でも個別指導でも、ずっと意識してきたことがある。
算数を教えることではない。
その子が、僕なしで動けるようになること。それだけだ。
「自走」とは何か
自走式学習、という言葉が好きだ。ただし、誤解している親御さんが多い。
自走とは、子どもが一人で全部やれるようになることではない。そこまで求めるのは、小学生相手には酷というものだ。
自走の本質は、「自分の問題点を自分で発掘できること」にある。
鶴亀算が怪しいと気づいたら、テキストの鶴亀算のページを開いて練習する。模試が返ってきたら、次のテストから逆算してスケジュールを組む。復習のタイミングを自分で決める。こういったことが、一つひとつできるようになっていく過程が、自走だ。
もちろん、それが全部一人でできる小学生はほとんどいない。半分は親や塾がフォローしていい。半自走式で十分だ。そこはまったく問題ない。
ただ、一点だけ、絶対に譲れないことがある。
唯一の絶対条件
問題集の解答・解説を、自分で読んで理解できること。
これだけだ。これができるかできないかで、成長の速度が、文字通り別次元になる。
なぜか。
解説が自分で読めない子は、何かわからない問題が出るたびに、誰かを必要とする。親か、塾の先生か。しかし大人はいつでもそこにいるわけではない。「わからない」と気づいた瞬間から、それが解決されるまでに、必ずタイムラグが生じる。
このタイムラグが致命的だ。
時間が経てば、何がわからなかったのかが曖昧になる。あのとき感じた「まずい、これは絶対に解けるようにならないといけない」という危機感は、翌日には半減し、週末には消えている。そして教わるころには「あ、そういうことか」で終わり、翌週には同じ問題でまた詰まる。このループを、偏差値40〜50台の子はひたすら繰り返している。
解説が自分で読めれば、このループは消える。
わからなかった瞬間に解説を開く。読む。理解する。再度解く。これが、最短の修正ルートだ。タイムラグがないから、危機感が薄れる前に処理できる。
解説を読む力は、二つの要素でできている
では、解答・解説を自力で読むために何が必要か。
一つ目は、国語の読解力だ。
算数の話をしているのに国語か、と思うかもしれないが、これは本気で言っている。解説文は日本語で書かれている。「この場合、AとBの差がCになることから……」という文章を正確に読み取れなければ、内容がどれだけ正しくても意味がない。国語が弱い子が算数でも伸び悩むのは、計算力の問題ではなく、解説文が読めていないケースが非常に多い。
二つ目は、最低限の用語の知識だ。
最小公倍数、逆数、内角、比の値。こういった言葉の意味がわからないまま解説を読んでも、当然理解できない。しかしここは、そこまで難しい話ではない。
意味がわからない言葉が出てきたら、調べる。今はインターネットもAIもある。まとめノートに書き留めてもいい。とにかく、「わからない単語をわからないままにしない」という習慣を作るだけでいい。これを続けていれば、重要用語は自然と定着していく。解説を読むたびに語彙が増え、次の解説がさらに読みやすくなる。正のスパイラルだ。
親がすべき、たった一つの確認
今夜、子どもに一つだけ聞いてみてほしい。
「今日間違えた問題、解説を読んで自分で理解できた?」
「うん」と即答できるなら、それは本物だ。その子はすでに自走の入り口に立っている。
「なんか難しかった」「よくわからなかった」という答えが返ってくるなら、問題は解法でも演習量でもない。解説を読む土台が、まだ整っていないということだ。
そこに気づかず、演習量を増やし、新しい解法を詰め込み続けるのが、偏差値40〜50台で停滞する家庭の典型的な行動パターンだ。良質な養分である。
逆に言えば、解説を読む力さえ育てれば、あとは子ども自身が勝手に伸びていく。講師が教えられる時間には限界があるが、子どもが解説から吸収できる量に、上限はない。