【共通テスト国語対策】問題文に「書かれてある」とはどういうことか?
2025/9/11
私の主宰するオンライン個別塾のホームページが11月まで工事中なので、この記事はマナリンクだけに掲載します。
あ、今回の写真は私のデスクでくつろぐまるさんです。それにしても後ろの付箋の量(笑)
共通テスト国語で「行間」を読んではいけない理由
さて、共通テストの国語で高得点を取るには、行間を読んではいけません。
「こんなふうにも解釈できるかもしれない」「筆者は本当はこう言いたかったのでは」──そうした「自由な読み方」は、 絶 対 に 不正解になります。
なぜなら、共通テストは「どこに何が書かれているか」「どう言い換えられているか」を正確に処理する力を測る試験だからです。評価されるのは、感受性でも創造力でもなく、情報処理能力。構造を論理的に把握し、設問に即して答えられるかどうかが問われます。
その意味で、共通テストの国語は「商品カタログを読む能力」に近いものがあります。
本来の読解力は「行間を読む」ところに宿る
他方、本当の意味での読解力=大学受験を離れた真の読解とは、「行間を読む力」のことだと私は考えています。
文章とは、単に言葉が並べられたものではありません。書かれていないこと、省略されたこと、あえて語らなかったこと──そうした“余白”にこそ、著者の本音や迷い、感情が宿っています。
例えば小説なら、登場人物の沈黙の意味、評論文なら語られていない前提、説明文でも価値判断がにじむ語彙選択。その背後にある「声」を感じ取ったとき、文章は文字列を超えて「生きた言葉」になります。
それが、読解の本質です。人生の滋養です。
共通テストと本当の読解、何が違うのか?
この2つの読解力──共通テスト的読解と、本来的な深い読解──は、はっきりと異なる性質を持ちます。
どちらが“良い”という話ではありません。目的が違えば、求められる読解のアプローチも違う。共通テストには共通テストの戦略があります。
でも、その違いに気づかずに「同じもの」として混同してしまうと、どちらの力も中途半端になってしまいます。
「読んではいけない行間」もある
実際、共通テストで点数を落としてしまう生徒の多くが、行間を読もうとしてしまうのです。たとえば、筆者の人柄に共感してしまったり、比喩表現を深読みしてしまったり。これ、英語もまったく同じです。
こうした“読みの豊かさ”は、本来であれば大切な力です。でも、共通テストという場面では「正答から逸れる行為」になってしまう。
だから大切なのは、「行間を読む力」そのものを否定するのではなく、読む場面を見極めることです。ここでは読まない、ここでは読む──その切り替えができることこそ、真の読解力と言えるでしょう。
読解力はテストを超えて人生に役立つ
共通テストで求められる力は、一時的な通過点にすぎません。
けれど、「人の言葉をどう読むか」という力、すなわち真の読解力は一生もののスキルです。
職場での上司の一言、パートナーの言葉、SNS上の投稿、子どもの作文…どれも、行間を読む力が試されます。
だからこそ私は、情報処理としての読解力だけでなく、その奥にある“人間を読む力”を大切にしてほしいと思っています。それはすなわち「人を読む力」すなわち人間理解に直結します。
共通テストは「興味のない商品パンフレット」でしかない
共通テストで出題される文章は、突き詰めれば「あなたにとって興味のない商品パンフレット」にすぎません。
心を動かす物語でもなく、興味深いテーマでもない。与えられた情報を機械的に処理し、正解を選ぶための素材。それが共通テストにおける文章の正体です。
でも安心してください。
大学に入れば、あなたが本当に読みたい文章、心を動かされる作品、震えるような思想に出会えます。 そこではようやく、“行間を読むこと”が許され、求められるようになるのです。
私は、共通テストという制度に合わせて、パンフレット的文章の情報処理的な読み方を、きちんと教えます。
でも、それだけでは終わらせません。
その先にある「真の読解」──書かれなかったものを感じ取る力、言葉の奥にある“声”を聞く力も、私は教えています。
だから、どうか安心して、ついてきてください。
共通テストという通過点を越えた先に、本当の読解の歓びが待っています。
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