夏に向けて、自学自習の罠
2025/6/2
自学自習が理想ではあるけれど
親御さんにとって、自学自習できる子は最も手のかからない子です。私自身、中学3年の6月までは、自学自習でカバーしていました。塾にも行かず学校の勉強だけで定期テストはトップクラスでした。
こういえば何も問題がないかのように思う方も多いでしょう。しかし、実際には「歪み」が生まれていました。定期テストに向けて、教科書からポイントをまとめたノートに作り変え、地道に暗記、その間3週間かかっていました。当時、中間テストから期末テストまでの期間は約1か月、したがって中間テストが終わると1週間しか休みがありませんでした。学校の成績的には何一つ問題はありませんでしたが、「負荷」に耐えられず悲鳴をあげそうな状態でした。
転機を迎えたのは、中3の5月の業者テストでした。学校の勉強では無双していたのに模擬試験が取れない。親には冷たい視線を浴びるし、もうどうしようもない!学校の勉強だけではまずいと思い塾に通い始めました。入れられたクラスは一番下のクラス!学校の成績は約500人中神セブンには入っていたのに・・・。改めて「違う世界に来てしまったなぁ」と気落ちしました。根がまじめなので、夏期講習が終わる頃には一番上のクラスまで這い上がりましたが、高校受験期までに数学だけはトップになれませんでした。当然のことです!トップのクラスは、各学校の10番以内の子が集結しており、しかも私よりも早い時期から「塾世界の難しい問題」と向き合ったいたのですから。
そんな私でもまだマシなほうです!
自学自習で失敗した話を書きましたが、そんな私でも「自学自習が相当できる子」だったと今になって思います。自学自習には「とんでもなく高いハードルがある」のです。
1、教科書には文が書いてあるばかりでまとまっていない。自分でまとめる力が必要である。
2、ポイントが何であるかは、自分で判断しなければならない。
3、満点を取りたいならば、ポイントから少々外れた部分までカバーしておかなければならない。
4、国語が苦手な場合、そもそも文章を読むのが苦手なのに、文章で書かれているテキストを使って自学自習することに「矛盾」はないか?
5、塾で勉強し、ポイントを押さえた授業を受けたとしても、試験に出るのはその一部である。必要ならばすべて試験範囲にするべきなのではないか?必要ないならば、テキストからその内容を外せばよいのではないか?(学校教育、塾教育共通のの矛盾)
6、ちゃんとやるかは「本人の気質とやる気」に任されている。自分の子がいわゆる「まじめな子」ではなかった場合、親は子を叱り、子は親を怨む。精神的に不衛生ではないか?
7、頑張ったとしても模試で取れないこともある。「努力が報われない」ことを子どもに教えていることになりはしないか?
他人の力を借りること!
自学自習できる子には、塾はおろか家庭教師も要りません!しかし、世の親御さんがイメージしている「自学自習できる真面目な子」は中学校時代の「私」ではありません。もっとスゴイ子です。例えば、図鑑を買い与えたら「学習ではなく遊び」として学んでしまい、他のをおねだりする子。(高校の同級生にいました。生物物理化学地学、すべて「遊び」として高校入学時に大学受験レベルを超えていました、泣)そういう子に育って欲しいものです。だから、東大に子どもをいれた〇〇ママの本を読み、真似をする親御さんがたくさんいらっしゃいます。しかし、そういう子は「作るのではなく産まれてくる」のです。ギフテッドです!
ギフテッド以外のいわゆる「賢い人」は、「他人の頭、他人の力」を使うといった特徴があります。私が大学生予備校講師だった頃、大学4年生の同僚講師に内定企業からの宿題をやらされたことがありました。範囲は「敬語」。解答例を作って欲しいと。宿題を終えて渡すと「ポイントを教えて欲しい!」と。『敬語の単語を尊敬語、謙譲語、丁寧語に分けてきちんと覚える。相手の動作に尊敬語、自分の動作に謙譲語、迷ったら(です・ます)調の丁寧語でお茶を濁す。敬語は年齢によってもその場に合う・合わないの問題があるから、企業の方にその点について質問すると喜ばれると思う。例えば「よろしいですか?」と「よろしゅうございますか?」。後者は少々年齢が行った人が使う言葉であるが、ホテルウーマンならば若い人でも使うべき等・・・』
彼女は「賢い人」でした。職場に敬語について頭の中が整理されている人がいるならば、テキストを見て独学するより教わってしまった方が早い!そういう判断のできる人でした。
夏期に備えて学習計画を立てていらっしゃる方も多いかと思いますが、「他人の頭を使うこと、他人の力を堂々と借りること」を大学受験を通して覚えて、将来仕事に役立てて欲しいと切に思っています。
この先生の他のブログ
「ら」抜き言葉が生まれる仕組みマナリンク講師内田です。たまには息抜きとして国語にまつわる文法の「正しさ」と「窮屈さ」について話してみようと思います。皆さん、「ら」抜き言葉と呼ばれる誤用をご存知でしょうか?・服を着られる←〇・服を着れる←✕・この野草は食べられる←〇・この野草は食べれる←✕というように...
生徒様との距離ができてしまいがちなこと講師歴30年以上となって最近困っていることは、「容姿・容貌の衰え」です(笑)これは、誰にもほぼ平等に起こりうることですが、生徒様から見れば「距離感がある」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。30年以上前、私が大学在学時に講師を始めた時には「大学生の兄貴」とし...
時間をつぶさないこと私が生徒様を教えるときに注意していることは、その生徒様に「最適化」することです。基礎から教えるといえば聞こえは良いように思うかもしれませんが、「基礎しか教えられない講師」もいるのです。塾講師の求人募集を見ていただければ分かるでしょう!「初心者歓迎」「マニュアル完備」「研修充実」。...