麻をまたぐ男と、積まれた参考書の山
人間というのは不思議な生き物です。 「楽をして成果を出したい」と願う一方で、なぜか自ら複雑な迷路に足を踏み入れ、身動きが取れなくなることを好む節がある。
僕が長年、神奈川の塾やオンラインでの指導現場で見てきた光景も、これに似ています。 「最強の勉強法」や「奇跡の参考書」を探し求め、書店で平積みされた本を買った瞬間、まるで賢くなったような錯覚に陥る。しかし、数日後にはその本が部屋の風景の一部と化し、また別の「魔法」を探しに行く。
これは、ある種の現代病と言えるかもしれません。 今日は、そんな迷路から抜け出し、凡人が確実に高みへと到達するための、少し古風で、しかし極めて合理的な「儀式」についてお話しします。
成長する植物と、錯覚する私たち
かつて、あるプロ野球選手が実践し、足の遅かった少年をトップアスリートに変えたトレーニング法があります。その元となったのは、剣豪・宮本武蔵のエピソードです。
「麻の種を植え、毎日その上を飛び越える」
麻という植物は成長が早いですが、昨日の今日で劇的に背が伸びるわけではありません。 1日目は芽が出たばかり。またぐのは簡単です。2日目も、3日目も、大差はありません。 しかし、毎日欠かさずまたぎ続けているうちに、麻は人の背丈を超え、それを飛び越える人間もまた、常人離れした跳躍力を手に入れている、という話です。
これを勉強に置き換えてみましょう。 多くの生徒、あるいは大人は、初日から「麻の大木」を飛び越えようとします。 「よし、今日から毎日数学の問題を30問解くぞ」「単語を50個覚えるぞ」と。
これは勇敢な挑戦ではなく、単なる無謀です。いきなり高い壁に挑めば、挫折するのは物理的に当たり前ですね。 必要なのは、初日のハードルを極限まで下げること。「英単語を1つ見る」「計算を1問解く」。これなら、誰でもまたげます。 重要なのは、その「1」を、明日「2」にし、明後日「3」にするというプロセスの継続であって、初日の負荷の大きさではないのです。
「精神のメタボリック症候群」
元の記事にもありましたが、現代人は情報を詰め込みすぎています。これを「精神のメタボリック症候群」と呼ぶそうです。言い得て妙ですね。
大手塾のトップクラスを担当していた頃もそうでしたが、伸び悩む生徒ほど、鞄の中に大量のテキストやプリントを詰め込んでいました。あれも大事、これも不安、と抱え込んだ結果、消化不良を起こして動けなくなっているのです。
情報は、食べ物と同じです。 どんなに栄養価の高い食事(=良質な参考書)でも、消化しきれない量を摂取すれば体を壊します。
ここで僕からの提案です。捨ててください。 物理的に捨てるのが怖ければ、視界から消してください。
今、目の前にある信頼できる一冊以外、すべての参考書をクローゼットの奥にしまい込む。机の上には、今日やるべきその一冊だけを置く。 「情報は捨ててこそ、必要なものが引っかかる」という逆説的な真理があります。選択肢を減らすことは、脳の処理リソースを一点に集中させるための、極めて合理的な戦略なのです。
「ゼロ」を作らないためのシステム
麻の修行において最も恐ろしいのは、雨の日や体調の悪い日に「今日は無理だ」と、またぐのをやめてしまうことです。一度途切れた習慣を再開するエネルギーは、継続するエネルギーの何倍も必要になります。
僕自身、岐阜での生活とオンライン指導、そして娘の子育てに追われ、正直なところ「今日は何もしたくない」と思う日があります。 そんな時、完璧主義な人ほど「目標達成できなかった自分」を責め、完全に止まってしまいます。
ですが、ここで必要なのは根性ではなく「システム」です。 「調子が悪い日は、ハードルを1日目のレベルに戻す」というルールを設けるのです。
もし30問解くのが辛ければ、1問でいい。テキストを開くだけでもいい。 「ゼロにしない」ことさえ守れば、脳は「勉強モード」を維持し続けます。不思議なもので、人間は「1」をやると、惰性で「2」や「3」までやってしまう生き物なのです。
具体的なアクションプラン
さて、理屈はここまでにして、今日から実践できる具体的な手順(プロセス)を提示します。
馬鹿げた目標を設定する 「参考書を開く」「単語帳を1ページめくる」。笑ってしまうほど低いハードルを設定してください。これがあなたの「麻の種」です。
机の上を「断捨離」する 今取り組むメインの1冊を決め、それ以外を視界から消してください。スマホも別の部屋に置きましょう。物理的な環境設定が、意志の弱さをカバーします。
カレンダーに印をつける やったこと(たとえ1分でも)を可視化してください。鎖を繋げていくゲームだと思えば、途切れさせるのが惜しくなります。
最後に
「ローマは一日にして成らず」と言いますが、難関校への合格も、語学の習得も、魔法のような近道は存在しません。あるのは、淡々とした日常の積み重ねだけです。
かつての僕の教え子たちの中で、最終的に笑っていたのは、天才的なひらめきを持つ子ではなく、毎日淡々と、飽きもせずに計算練習や単語の確認を繰り返していた子たちでした。
この記事を読んで「なるほど、いい話だった」と思って画面を閉じただけでは、何も変わりません。それは、書店で参考書を買って満足するのと同じです。
もし本気で変わりたいと思うなら、今すぐスマホを置き、目の前のテキストを開いて、たった一問でいいので解いてみてください。 それが、あなたがまたぐべき最初の「麻の芽」です。
もし、自分ひとりでその「最初の一歩」を踏み出すのが難しい、あるいはどのテキストを「一冊」に選べばいいか分からないという場合は、いつでも相談してください。 僕は岐阜にいますが、オンラインであなたの机の横に立つことができます。現状を分析し、あなたに最適な「麻の種」を一緒に見つけましょう。