「過去問」という万能薬が効かない体質について
受験シーズンが近づくと、ある種の「信仰」のようなものが教室の周りを漂い始めます。 それは、「過去問を解けば解くほど、合格に近づく」という信仰です。
確かに、過去問演習は強力なツールです。敵を知り、時間の使い方を学び、傾向に慣れる。多くの合格者が、ボロボロになるまで過去問(赤本など)を使い込んだエピソードを語ります。
しかし、長年、大手塾の最上位クラスから個別指導の現場まで見てきて、ひとつ冷徹な事実を申し上げなければなりません。
過去問を何年分やっても、実力がまるで伸びない生徒がいます。 逆に、数年分触れただけで、スポンジが水を吸うように点数を上げていく生徒もいます。
この違いは、性格でも、気合でもありません。 もっと物理的で、システム的な話です。 その生徒の中に、**「基礎能力」という名のOS(オペレーティングシステム)**がインストールされているかどうか。ただそれだけのことなのです。
「基礎能力」の正体
ここで言う「基礎」とは、「簡単な問題が解ける」という意味ではありません。もっと根源的な、道具としての能力を指します。 僕が考える基礎能力の定義は、以下の4点に集約されます。
公式や解法が、道具箱のすぐ取り出せる位置に入っているか。
計算スピードと精度が、思考の邪魔をしないレベルにあるか。
問題文の情報を、自力で「表」や「図」に変換できるか。
解説を読んだとき、「なぜそうなるのか」が理解できるか。
特に4番目が重要です。 過去問演習の本質は、「解くこと」ではなく、解けなかった後に「修正すること」にあります。
解説を読んでも「何が書いてあるのかわからない」「なぜこの補助線を引くのか理解できない」という状態であれば、それは過去問を解いているのではなく、ただ時間を消費して、紙を黒く塗りつぶしている作業に過ぎません。 壊れた翻訳機に、高尚な文学作品を通そうとしているようなものです。出力されるのは、意味不明な記号の羅列だけでしょう。
過去問をやる「資格」
もし、今挙げた基礎能力が不足している状態で過去問を解きまくるとどうなるか。
自信を失います。 そして、「自分は頭が悪いのだ」という誤った学習をしてしまいます。 あるいは、答えの数字を無意識に覚えてしまい、「解けたつもり」になるという、最も恐ろしい副作用を引き起こすこともあります。
ですから、保護者様には一度、冷静にお子様の様子を観察していただきたいのです。
お子様は、過去問をやる段階に来ていますか? それとも、まだその手前で、OSのアップデートが必要な状態でしょうか。
もし、解説を読んでも理解できていないようであれば、勇気を持って過去問を止めるべきです。 急がば回れ。計算練習に戻る、基本テキストの例題に戻る。原理原則を理解し直す。 基礎能力という土台がない場所に、過去問という重たい建物を建てようとすれば、地盤沈下を起こすのは自明の理です。
4年生・5年生の保護者様へ
もし、お子様がまだ受験学年でないのなら、これは朗報です。 今やるべきことは、難問を解くことではありません。
将来、過去問という強力な負荷がかかったときに、それに耐えうる「頑丈な基礎」を作ることです。 「なぜそうなるのか」を問いかけ、自分の手で図を描き、計算を厭わない。 そういった地味で淡々とした作業の繰り返しこそが、数年後、過去問という特効薬を最大限に効かせるための準備となります。
最後に
機械の世界では、スペックの低いパソコンに最新の重たいソフトを入れると、フリーズして動かなくなります。 人間も同じです。
焦る気持ちはわかりますが、まずはスペックの確認を。 OSが入っていなければ、どんなに素晴らしいソフト(過去問)も、ただのデータの塊に過ぎないのですから。