偏差値60への体力戦略:低酸素で鍛える受験脳の作り方
中学受験を「地頭の良さ」を競う純粋な学問だと思っているなら、その認識は今日限りで捨ててください。 僕の目から見れば、中学受験は極めてドライな「情報戦」であり、限られたリソースをどこに投下するかという「資源配分」のゲームに過ぎません。
偏差値40台から50台の沼で足掻いているご家庭には、共通の欠落があります。 それは、戦略的な「計算マシンの構築」と、それを動かすための「基礎体力」の軽視です。
国際関係学から見た受験という名の総力戦
僕は国際大学大学院(IUJ)で国際関係学を修めました。 そこでは、国家間がいかに合理的に動くか、あるいはゲーム理論に基づくいかに有利なポジションを取るかという戦略を徹底的に叩き込まれます。
この視点を受験に転用すると、面白いことが見えてきます。 偏差値60を超える層は、いわば「軍備の近代化」に成功した国々です。 対して、40台で停滞する層は、いまだに古い慣習と精神論という名の「竹槍」で戦おうとしています。
綺麗なノートを整理することに満足する
算数の問題を、算数のルールだけで解こうとする真面目さ
終わりの見えない長時間学習という名の自己満足
これらは、敵に塩を送るどころか、自ら進んで「良質な養分」になりにいっているようなものです。
算数を解くのは脳ではなく「体力」である
最近、僕は低酸素トレーニングを始めました。 標高の高い場所と同じ、酸素濃度の低い環境で運動するアレです。 なぜ、塾経営とオンライン指導で忙殺される僕が、わざわざそんな苦しいことをするのか。
理由は明快です。 少ない時間で最大の有酸素運動効果を得るため、つまり「効率」です。 そしてもう一つ、算数や数学という学問は、最後は「気力」の勝負になるからです。
難問を前にしたとき、この問題を解いてやる、理解してやると踏ん張れるかどうか。 その気力の源泉は、間違いなく生活における基礎体力に直結しています。 脳に酸素を送り続けるポンプが弱ければ、試験終了間際の10分間に逆転の思考など生まれません。
受験生に必要なのは、机にしがみつく根性ではなく、脳というCPUをフル回転させ続けるための安定した電源、すなわち「体力」なのです。
ヒロユキ流:計算マシンとしてのドーピング解法
僕がマナリンクの指導で生徒に授けるのは、小学生らしい「美しい解き方」ではありません。 例えば、高校数学で学ぶ内分・外分の考え方や、n進法の本質を、小学生が「計算マシン」として無機質に処理できるレベルまで解体して教えます。
100 ÷ 25 = 4
この程度の計算を呼吸するようにこなすのは当然として、複雑な図形問題も、戦略的な補助線一本で「作業」に変えてしまいます。 偏差値60の壁とは、思考を停止して「作業」に没入できる領域のことです。
また、僕自身が新しい学び(低酸素トレーニングや未知の知見)に挑むときは、常に自分の知識をゼロにします。 「教わる側」の心理、つまり、できない時のもどかしさや、新しい概念が脳に浸透するまでの摩擦を自分自身で体験し続けるためです。 この「初心」を忘れないことが、僕の戦略をより冷徹かつ、確実に生徒へ浸透させる武器になっています。
明日から親ができる「非情な決断」
もしお子さんが、今日も深夜まで「綺麗なノート」作りに励んでいるなら、そのノートを今すぐゴミ箱に捨てさせてください。 そんな暇があるなら、10分早く寝かせて脳を休ませるか、近所を散歩させて心肺機能を高めた方が、合格最低点には100倍近づきます。
睡眠時間を削ってまでやらせる演習に価値はない
算数は「解く」のではなく「処理」するものだと教え込む
親がすべきは勉強の管理ではなく、リソース(体力・時間)の管理
中学受験というゲームにおいて、真面目すぎることは罪です。 効率を求め、最短距離を走る。 そのために必要な「強靭なフィジカル」と「卑怯なまでの解法」を身につけた者だけが、偏差値60という高台に立つことができるのです。
さて、あなたの家は、いつまで「竹槍」で戦い続けるつもりですか?