揺れる馬の上で、知の頂を眺める方法 ── 本居宣長に学ぶ、日常に溶ける学習術
丹沢の山々に薄く霧がかかる朝、秦野の教室から窓の外を眺めていると、ふと思うことがあります。
私たちは勉強というものを、少しばかり神聖視しすぎているのではないか、と。 静かな部屋で、磨き上げられた机に向かい、背筋を伸ばしてペンを握る。もちろん、それは一つの理想的な姿ではありますが、それが唯一の正解だと思い込むのは、いささか非効率的な強迫観念かもしれません。
今日は、江戸時代の知の巨人・本居宣長が説いた、現代の受験生にも通じる不純で、合理的な勉強法についてお話ししましょう。
鈴の音と、揺れる馬上の思考法
江戸時代の国学者、本居宣長。 彼は膨大な時間をかけて古事記伝を書き上げましたが、その研究スタイルは決して隠遁生活ではありませんでした。彼は現役の医師として働き、患者を診察し、町を歩き、多忙な日々を送っていました。
そんな彼が残した学習の心得、うひ山ぶみには、現代の私たちがハッとするような合理性が詰まっています。
馬の上、という名のマルチタスク
ご質問にあった本道(あるいは馬道)を進みながらの勉強法についてですが、宣長はこう述べています。
学問は、ただ年月長く、倦まず怠らずして、励みつくすべきものである。馬の上、歩きながら、あるいは何かの合間でも、少しずつ進めればよい。
彼は、勉強を特別な儀式ではなく、日常のノイズの中にあるものと定義しました。
これを現代風に解釈すれば、通学の電車やバス、あるいは駅までの徒歩の時間は、決して勉強ができない時間ではありません。むしろ、揺れや喧騒といった適度なノイズがある環境の方が、脳は集中を維持しやすいという側面があります。
僕が指導する際も、数学の公式を覚えるときには、机に座るなと言うことがあります。歩きながらリズムに乗せて唱える。その方が、筋肉の動きと連動して記憶が定着しやすいからです。
鈴の音をBGMにする、鈴屋の知恵
宣長は自分の書斎を鈴屋と名付け、多くの鈴を吊るしていました。執筆に行き詰まると、その鈴を鳴らして音を楽しんだと言われています。
これは一見、単なる趣味に見えますが、非常に合理的なモードの切り替えです。 勉強を一つの重苦しい作業にするのではなく、五感を刺激して飽きを防ぐ。
僕の教室でも、オンライン指導中に機材トラブルで音が途切れた際、それを逆手に取って、今の無音の時間に、さっきの解法を頭の中で再生してごらん、と伝えることがあります。静寂やリズムの変化を、思考のトリガーにするわけです。
効率の極致:宣長流・現代受験サバイバル術
宣長の教えを、現代の中学受験・高校受験にスライドさせて構造化してみましょう。
1. 理解より継続を優先する
宣長は、最初から完璧にわかろうとするな、と説きました。 難解な古文も、何度も読み流すうちに、ある日突然、霧が晴れるように意味が立ち上がってくる。
これは算数や数学でも同じです。 比の概念がわからない生徒に、僕はあえて、わからなくてもいいから、この面積図の形だけ毎日5回書いてごらん、と指示することがあります。理解を待つのではなく、再現を繰り返すことで、後から理解が追いついてくる。これは算数の枠を超えて、高校数学のベクトルの考え方などにも応用できる、極めて実戦的なアプローチです。
2. 寸暇を解法のシミュレーションに充てる
宣長が馬の上で思索に耽ったように、現代の受験生は移動中にペンを持たない勉強をすべきです。
計算問題を解くのではなく、解法のフローチャートを頭の中で組み立てる。英単語を覚えるのではなく、その単語を使って、娘に今日の夕食を説明する英文を考えてみる。
机に向かっていない時間に何をしたかで、机に向かった時の再現性の精度が決まります。
結び:学問は生活の隙間に生息する
宣長は、学問を一生をかけて楽しむ遊びのようなものだと捉えていた節があります。 医師として生計を立て、家庭を守り、その隙間で知の頂を極めた彼からすれば、勉強する時間がないという言い訳は、少しばかり想像力が欠けているように映るかもしれません。
僕の娘も、時折タブレットを抱えたまま、リビングのソファで妙な格好で固まっています。 姿勢が悪いよ、と注意しようとして、ふと思い出します。彼女の中では今、馬に揺られている宣長と同じように、何らかの知的な火花が散っているのかもしれない、と。
そう思うと、僕も丹沢の山々を眺めながらコーヒーを淹れる、この無駄な数分間に、次の授業の鮮やかな比喩を思いつけるような気がしてくるのです。
さて、まずはその馬(あるいは電車)から降りる前に、一つだけ公式を頭の中で再現してみませんか。
次に僕ができること: もしよろしければ、あなたが今一番時間を取られていると感じる、移動時間や家事の合間などの隙間時間を教えていただけますか? その環境に最適化した、ペンを持たない学習メニューを僕が考案してみせましょう。