【閑話休題】思い出の先生&自分が理系文系どっち問題
高校受験の時期が近付くと、思い出す先生がいます。
それは学校ではなく、塾の先生です。
私は中学生の頃、近所の個人塾に通っていました。
その塾長先生が数学の担任で、とにっかく口が悪い。
学校の成績でほとんど5を取っていた私はl
当然のごとく塾の上位クラスに入ったのですが
塾長からしたら赤ちゃん扱いです。
しょせん公立中学校の上位に過ぎなかった私たちは
超難関私立高校である洛南や同志社、
教育大付属などの難解な問題に四苦八苦。
最初の3か月くらいは
「お前たちはザルや!」
と言っていた塾長。
やがて
「ザルなんていいもんじゃない。
お前たちの頭は枠や、枠。
教えたことが一個も残ってない」
と言われる始末。
「その耳は飾りか?」
なんてバージョンもありましたね。
今だとコンプライアンスなど
いろいろ引っかかってきそうですね。
ひたすら「枠(=バカ)」と言われ続けて
泣きべそかきながら通った塾の2年間でした。
で、国語の次に数学ができると思い込んでいた中学生の私は
この口の悪い塾長がハッキリばっさり言ってくれたおかげで(?)、
勘違いしたまま莵道高校の「理数コース」を選ぶことなく
「人文コース」に進みました。
中学の先生に「理数コースも行けるで」と言われ
偏差値も人文より高かったので「いいのかな」と一瞬思ったのですが、
高校に行って危機を回避できたのだと知りました。
なぜなら高2で習う数Bのベクトルで思いっきりつまずき
人生で初めて一桁の点数をマーク。
その衝撃たるや・・・・・・。
テストを返す数学の先生の哀れな目を、今も忘れません。
私の頭は理数科目については塾長の言うとおり「枠」でした。
理数に行ってたら落ちこぼれるしかなかったなと。
数学と物理と歴史に関しては完全に才能と「好き」の世界なので
「ちょっとできるから」で理系に進むのは非常に危険です。
うかつに選んじゃダメ、理系。
今のように情報をネットで簡単に集められる時代でもなかったので
塾長みたいな人は実は貴重な存在でした。
ちなみに塾長は元中学校教師で
「あんな窮屈な世界嫌い。合わない」
と言ってはばからない強キャラでしたね。
あんな授業もうできないんだろうな~と思うと
なぜか惜しく感じるので不思議。