希望する者
2022/6/7
1906年6月12日に日本エスペラント協会が制定された。その日を記念して6月12日はエスペラントの日だそうである。
エスペラントは人工言語である。創案者のラザロ・ルドヴィコ・ザメンホフが「エスペラント博士(Doktoro Esperanto)」というペンネームを使って発表したため、しだいにこの名で呼ばれるようになった(「エスペラント博士の国際語」と呼ぶのは面倒)。この「エスペラント」とはエスペラントの単語で「希望する者」という意味である。(Wikipedia:エスペラントより)
明治時代に様々な有識者がこの言語にかかわっている。そのなかでも宮沢賢治と柳田國男は特に有名である。
宮沢賢治の造語であるイーハトーブは、エスペラント語ではないかという説がある。イーハトーブは賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉であり、岩手県をモチーフとしたとされている。賢治の作品の短歌や詩を自らエスペラントの翻訳をしたりしているので、案外この説もまんざら嘘ではないかもしれない。
一方柳田國男は日本の民族学のパイオニア的存在であり、岩手県遠野地方に伝わる伝説をまとめた「遠野物語」は特に有名である。柳田國男は国際連盟の委任統治委員会日本代表時代に国際連盟がエスペラントの採用するように運動した。自身もエスペラントを学んでいるので、エスペラントに関するかかわり方は尋常ではないとえる。
柳田國男の代表作「遠野物語」の舞台となった遠野地方は、宮沢賢治が生まれた花巻のすぐちかくにある。個人的なはなしだが、仙台市のある会社を辞める前に一週間ほど休暇をとりこの遠野と花巻をぶらっと旅行をしたことがある。花巻は賢治ゆかりの地、遠野は遠野物語の舞台。共に日本文学史に足跡を残した人物作品の舞台である。ひとりわくわくしながら旅行をしたことは、いまでも良い思い出になっている。
宮沢賢治と柳田國男、タイプのちがう作家が同じ言語で結びつくとはおもしろいと思う。エスぺラントは希望する者という意味であるが、明治時代に時代を切り開いた先人は、この言葉に未来の希望を感じたのかもしれない。
現在の受験生に必要なことは「希望」である。受験勉強、定期試験勉強、宿題・課題、毎日忙しく自身の未来を思い描く時間を失っている受験生は多いかと思う。そのような忙しいなかエスペラントという言葉から希望する自身の未来を考えるのもわるくはない。
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