AIによる個別最適化の負の側面

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2025/5/9

AI技術の発展には目覚ましいものがあり、文字通り日進月歩と言ってよいでしょう。教育分野への影響も軽視できないものになっています。AIは、学習者を取り巻く環境をどのように変容させるのでしょうか。正負両面の影響がありますが、負の側面を回避する道はあるのでしょうか。

個別最適化

AIチャットボットを活用すれば、個々の理解度に合わせた教材や指導が可能になります。さらに教師は〈平均値や中央値〉に向けて語る必要が薄くなり、個々の学習者に適切な距離感を保つことができます。

一方で、AIの教育現場への導入は、いくつかの深刻な懸念をもたらしています。

簡単に言えば、「AIがあるから勉強なんて必要ない」という気分が醸成される可能性があります。

思考力および問題解決能力の減退

AIが即座に「正答」を提示することにより、学習者が本質的理解や批判的思考を疎かにするおそれがあります。AIが「正解」をいとも簡単に明らかにしてしまう状況では、粘り強く考えようとする意欲は減退してしまうのではないでしょうか。

健全なAI利用と情報の信頼性

自分では考えずに全くAIに依存して、レポート作成することの是非が問題になっています。各教育機関は、AI利用を前提とした健全な教育を方針とし、不正防止の策を弄していますが、これもまた現在進行形の〈いたちごっこ〉でしょう。

他方、AIはもっともらしい文章を生成しますが、不正確な情報や虚偽(ハルシネーション)が生じることも事実です。AIは即時的で膨大なアウトプットが可能であるため、学習者が誤情報をもとに信念形成してしまうおそれがあります。

このように、個別最適化といっても、学習者当人にとっての「最適」が「深い学び」であるとは限りません。多くの人にとって、「楽すること」が「最適解」であるということを見落としてはならないでしょう。

知的好奇心=批判的思考力

私の肌感覚になりますが、いわゆる〈学校のお勉強〉について、知的好奇心をもって取り組む人の割合は極めて少ないです。多くの人が「親に言われたから」「就職で有利だから」「お金が欲しいから」といった消極的な理由で、机に向かっています。これは20代前半までの多くの人にとっては無理からぬことだと思います。

教育が制度的にAIを活用するか否かは、たいした問題ではありません。導入しようがしまいが、生成AIはスマートフォンに搭載されるなど、〈民主化〉されつつあります。

  • 「〜について教えて」→「○○はどうなっているの?」→「それって誰のいつ頃発表されたアイディア?」→「それに対する反対意見はある?」→「ソースはある?」
  • 「今日の宿題、代わりにやって、バレないように適度に間違えて」

知的好奇心のある人にとっての「最適」は「納得のいくまで掘り下げて深い理解に至ること」です。本当に知りたいと思うことを学ばせるのでなければ、二極化は加速するでしょう。

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