旅する日本史 ― 京都 vol.1 平安京を歩く:千年の都が生まれた理由
京都を旅していると、何度も「この街は1000年前から続いているんだ」と実感する瞬間が訪れます。
まっすぐ伸びる大通り、規則正しい町割り、山に囲まれた静かな地形──。
これらは、平安京(794年)がつくった都市構造が、形を変えながらも現代まで受け継がれているからです。
今回の旅のテーマは、
「なぜ京都に都が置かれたのか? そしてどんな都だったのか?」
旅人の目線で、千年の都の始まりをたどります。
■ ① なぜ都は京都に移されたのか
平安京の誕生は、桓武天皇の遷都から始まります。
その理由を現地に立つと、体感として腑に落ちてきます。
たとえば京都駅を出て北へ歩き始めると、すぐに山々が視界に入り、
「ここは四方を守られている土地だ」という実感が湧きます。
桓武天皇が京都を選んだ背景には、
水が豊かで稲作に適していること(鴨川・桂川)
山に囲まれ、外敵から守りやすい盆地地形
風水・陰陽道に適した土地とされたこと
こうした“自然の条件の良さ”があります。
旅をしていると、この「地の利」の説得力を肌で感じます。
■ ② 平安京の“碁盤の目”は今も残っている
京都の中心部を歩くと、
東西と南北に伸びる大きな通りが規則的に並んでいるのが特徴。
これは条坊制(じょうぼうせい)と呼ばれる古代中国由来の都市デザインです。
朱雀大路(今の千本通付近)を軸に街が区切られ、
“まっすぐで見通しのよい道”が並ぶ構造は、
現代の地図と照らし合わせても驚くほど一致します。
例えば、
堀川通 → 平安京の大路
五条通 → 平安京の五条
四条河原町周辺 → 平安京の市場「東市」近く
歩けば歩くほど、
「ここは1000年前の人々も歩いた道なんだ」
という感覚が湧いてきます。
_千本通り(昔の朱雀大路)_

_四条河原町と鴨川_
■ ③ 清水寺と賀茂社:平安人が“祈った場所”
平安京を理解するうえで欠かせないのが、
信仰と祈りの空間です。
● 清水寺
観光地として有名な清水寺ですが、
平安の貴族たちにとっては“都の安寧を祈る場所”でした。
京都市街を見下ろせる舞台に立つと、
千年前に同じ景色に向かって手を合わせた人々の姿が想像できます。
● 上賀茂神社・下鴨神社
賀茂氏の古い神社で、
平安京の守護神とされた場所です。
森や川の静けさが、平安の時代そのままに残っています。
「祈り」が都市を支えるという価値観は、
歴史を旅で“理解する”瞬間のひとつです。
■ ④ 貴族文化はなぜ“雅”なのか
平安京は文化の都としても有名です。
『源氏物語』
和歌
雅楽
陰陽道
これらの文化は、政治の中心が安定し、教養を磨く時間が育ったからこそ生まれました。
たとえば京都御所の紫宸殿を歩くと、
「人の流れ」「建物の距離」「光の入り方」にまで意味があることが分かります。
旅をしながら体感すると、教科書で読むよりずっと理解が深まります。

■ ⑤ 歩くことで“受験知識”が整理される
平安京を旅すると、受験に出るポイントが自然と頭に入ってきます。
794:平安京遷都(桓武天皇)
都市構造(条坊制・朱雀大路)
貴族文化(国風文化)
政治の中心(令制国家の完成期)
神社・寺院の役割
知識が「地図」「風景」「距離」と結びつくので、忘れにくくなります。
■ ⑥ 次回:「室町・戦国編」へ
平安の都として整えられた京都は、
やがて足利将軍家が政治の拠点を置く都市へと変化します。
金閣と銀閣が語る“美の二つの答え”、
そして応仁の乱で街が焼けた歴史。
次回の旅では、
「同じ京都なのに、こんなに変わってしまうのか」
という時代の変化を辿ります。