【旅する日本史 京都 vol.5】 戦国の京都——焼け野原から始まる“再生”の物語
戦国の京都——焼け野原から始まる“再生”の物語
応仁の乱が終わったあと、京都はどうなったのか。
教科書では「応仁の乱(1467〜77)によって京都は荒廃した」と、たった一行で片づけられてしまうことが多い。しかし、実際に京都の町を歩いてみると、その“続きの物語”が静かに、しかし確かに見えてくる。
応仁の乱は、将軍継嗣問題と細川勝元・山名宗全の対立をきっかけに、約10年にわたって続いた内乱だった。

戦場となったのは地方ではなく、天皇と将軍の都・京都そのもの。
町は焼かれ、寺社は破壊され、人々は離散する。
当時の記録には、「洛中洛外、見る影もなし」と記されている。
けれど、京都は滅びなかった。
◆ 無秩序の中から生まれた「自治」
戦国期の京都再生を語る上で欠かせないのが、町衆の存在だ。
武士の権威が揺らぎ、室町幕府の統治力が低下する中で、町の治安や経済を支えたのは、商人や職人たちだった。
彼らは町ごとに結束し、
町組をつくり
自警・防火を行い
祭礼や信仰を通じて共同体を維持していく
この動きは、のちの自治的都市社会の原型とも言える。
実際、祇園祭が戦乱の中でも復活していった背景には、町衆の強い意志があった。
祭は単なる行事ではなく、「この町は生きている」という宣言だったのだ。
◆ 戦国大名と京都——破壊者か、再建者か
やがて京都には、戦国大名たちが再び関わり始める。
特に重要なのが、織田信長の上洛だ。
信長は足利義昭を奉じて上洛し、京都の治安回復と秩序再建に乗り出す。

焼け跡だった町に楽市楽座を広げ、交通と商業を整え、
京都は再び「政治と文化の中心」として息を吹き返していく。
ここで重要なのは、
京都の再生が「自然回復」ではなく、
人の選択と行動の積み重ねだったという点だ。
◆ 旅すると見えてくる“戦国の痕跡”
現在の京都には、戦国の記憶が至るところに残っている。
上京・下京という町の区分
寺町通に集められた寺院群
城郭的構造をもつ寺社配置
これらはすべて、戦乱と再生の中で形づくられたものだ。
ただ歩くだけでは気づかないが、「なぜここに?」と問いを持つと、町全体が歴史の資料になる。
◆ 焼け野原から始まる歴史が、私たちに教えてくれること
戦国の京都は、
「壊された都」ではなく、「立て直された都」だった。
応仁の乱という大混乱のあと、
人々は秩序を失いながらも、新しい形で社会を組み直していった。
この視点は、日本史の理解を一段深めてくれる。
京都の戦国史は、単なる内乱の時代ではない。
再生の力が試された時代なのだ。

◆ 今回登場した日本史重要用語 解説(受験生向け!)
応仁の乱(1467〜1477)
室町時代後期に起こった大規模な内乱。将軍継嗣問題と、有力守護大名である細川勝元と山名宗全の対立が原因。約10年にわたり京都が戦場となり、室町幕府の権威が大きく低下した。
細川勝元・山名宗全
応仁の乱で対立した東軍(細川)・西軍(山名)の中心人物。両者とも守護大名であり、個人的対立が全国規模の内乱へと発展した点が重要。
室町幕府
足利氏による武家政権。応仁の乱をきっかけに統治能力が低下し、守護大名が自立する戦国時代へと移行していく。
町衆(ちょうしゅう)
京都や堺などの都市で力を持った商人・職人層。戦乱によって武士の支配が弱まる中、自治・治安維持・経済活動を担い、都市の再生を支えた存在。
町組
町衆が結成した自治的な組織。防火・治安維持・祭礼運営などを行い、戦国期の都市社会を支えた。のちの自治都市形成の基礎となる。
自治
中央権力に依存せず、地域や町が自ら秩序を維持・運営すること。戦国期の京都では町衆による自治が進み、社会の安定に大きく寄与した。
織田信長
戦国時代の有力大名。足利義昭を奉じて上洛し、京都の治安回復や経済活性化を進めた。楽市楽座の実施など、都市再建に大きな影響を与えた。
足利義昭
室町幕府最後の将軍。織田信長の支援で将軍となるが、のちに対立し幕府は事実上滅亡する。
楽市楽座
市場の独占権(座)を廃止し、自由な商業活動を認める政策。信長の経済政策として有名で、京都や城下町の再生を促した。
✍️ 学習ポイント
今回のテーマは
「応仁の乱 → 荒廃 → 町衆による自治 → 戦国大名による再建」
という流れで整理すると、論述・記述問題にも対応しやすくなります。
次回予告|安土桃山から江戸初期へ
「天下統一の先にあった“平和”——信長・秀吉・家康がつないだ時代」
戦国の動乱を終わらせたのは、誰だったのか。
織田信長の革新、豊臣秀吉の統一、そして徳川家康の安定。
安土桃山のダイナミズムから、江戸初期の秩序ある社会へ――
日本史が「戦う時代」から「治める時代」へと大きく舵を切る瞬間を、旅とともに読み解きます。
次回は、城・町・制度に刻まれた「平和への設計図」に迫ります。