「Logical is not Logical」――論理だけで解くから、国語が解けない。

「国語は論理だ。そう信じて「型」を詰め込んでいる生徒ほど、共通テストの最後でミスをしてしまう。」
矛盾しているようですが、これが現場で私が目撃している真実です。
マナリンクで講師を探すと、評価数1,000件を超える大ベテランの先生方が並んでいます。
私はここで指導を始めてまだ半年。
数字の上では、到底彼らには及びません。
彼らが一生懸命教えたからこそ、このような場で私もサービスを提供できるのですからとても敬意を持っています。そのうえで私の指導について書かせてください。
後発の私だからこそ、そして元進路指導部長として数多の合格と不合格の境界線を見てきた私だからこそ、断言できることがあります。
「論理」という杖を万能薬だと思い込んだ瞬間、お子さんの国語の成績はある限界を超えられません。
言葉は、論理だけで割り切れるほど「冷たく」ない。
もちろん、論理は絶対に必要です。
言い換え、因果、対比。
これらはコミュニケーションの基盤であり、これがなければ議論すら成立しません。
しかし、実際の入試問題、特に今年の共通テストのように「筆者の意図」を問う問題を前にしたとき、論理の公式を当てはめるだけでは限界があります。
文章には「波」があり、筆者の「熱意」や「抑揚」があるからです。
無数にある言い換えの中から、なぜ筆者は「この言葉」を選んだのか。
その必然性を判断するには、冷たい論理の枠組みだけでなく、
筆者の心に触れる「論理的な共感」が必要です。
私は、「論理で絶対に読める」と豪語する指導を基本的には信用しません。
わたしも高校生の頃、きっと今の皆さんのように、予備校の有名カリスマ講師の授業を受けました。
その授業で私が体験したのは、「受験生を鼓舞する煽り文句」と、「このルールさえ読めれば解けると言ったマニュアル」たち。
その解説を聞いたうえで、わたしは出来レースのような解説に納得することができなかったんです。
理屈はわかるけど、なんでその解法を今回の問題で使うの? それは正答がそれだと分かったうえでの逆算的な解説じゃないの? ほんとうにそれを選べるの? え?どうしてなの?(迷宮入り)
なんて正直に思ったものです。
人間が書いた言葉は、そこまで記号的なものではないはずです。
生徒が本当に必要としているのは、論理の公式を教わることではありません。
「自分の論理のどこが、なぜ、どのように躓いているのか」を、否定せずに解明してくれる伴走者です。
私は授業中、生徒が沈黙しても急かしません。
内向的な生徒さんほど、頭の中で一生懸命に論理を組み立てようと格闘しています。
その「言葉にならない試行錯誤」の中にこそ、点数を伸ばすヒントが隠れていると思うからです。
大切なのはティーチングとコーチングのバランスだと私は信じています。
どの論理を選択すべきかという「判断」で迷っているのか。
文章の「熱意」を読み飛ばし、形だけで処理しようとして自滅しているのか。
「冷徹に分析する」のは、生徒の努力を空回りさせないため。
「伴走する」のは、生徒が自分自身の感覚を信じられるようになるためです。
先日、東北大学を目指す生徒様の保護者様から「娘の国語に革命が起きた」というお言葉をいただいたのも、単なるテクニックの伝授ではなく、この「思考の矯正と共感」に心血を注いだ結果だと自負しています。
ありがたいことに、これまで体験授業を受けてくださった方の成約率は9割を超えています。
ただ目にとめていただけるかどうか、私だけの力では変えられないものもあります。
市場原理に個人で勝てるほど、高度情報化社会の市場原理は弱くはないのです滝汗。
これは、数字やプロフィールの言葉ではなく、
実際に授業で向き合った瞬間に「この先生なら、自分の癖を見抜いてくれる」と実感していただけた結果だと私は自信を持っています。
私は、評価数1,000件の講師よりも、あなたのお子さんの現状を変える自信があります。
「人気があるから」という安心感で選ぶのも、安心感があってよいのかもしれません。
ですが、私はお子さんの国語に、本当の「革命」を起こしたい。
(結局これも煽り文句ですね(;^_^A)
私に、その準備は、できています。
一度私と体験授業でお話ししてみませんか?