本文に「書いていない」からバツをつける――「検索」で読むのは読解か【反語】
こんにちは。マナリンクの島田です。
最近なかなかブログを書く隙がなくて、す、すいません、、、。
さて、今回は「本文に書いていない」という「よくある魔法の解説の言葉」について、最近思うところがありました。
お時間よろしければご一読くださいませ。
「国語はセンスだから、いくら勉強しても無駄だ」 そう思っている生徒さん、そして保護者様は少なくありません。しかし、難関校を目指す聡明な子ほど、実は別の「罠」にハマっていることがあります。
それは、国語を「照合作業(検索)」にしてしまっている、という勘違いです。
以前、あるハイレベルな私立高校に通う生徒さんと向き合っていた時のこと。
その生徒様は非常に聡明でした。
文章からキーワードを素早く見つけ出す力は大人顔負けで、模試の正誤問題もスピーディーにこなします。(それはもう、私が問題を予習するレベルで解き終わっていました。滝汗)
しかし、ある「論理的な文章」を扱った一問で、彼の手が止まりました。
扱ったのは、SNSの情報をいかに受け取るかという論旨の文章でした。
設問の「正解」は、端的に言えば「受け手の判断能力が試される状況」という趣旨の選択肢。
しかし、彼はその選択肢を真っ先に消してしまったのです。
理由を尋ねると、彼は困ったように、こう答えました。
「『判断能力』なんて言葉、本文のどこにも書いていないので、、、」
彼はこれまで、「本文に書いてある言葉以外を選んではいけない」という指導を、あまりにも忠実に守り続けてきたのでしょう。
ミスを減らすための防衛策としては、それは一つの正解です。
しかし、難関校が求める「読解」のレベルは、そこにはありません。
本文にはこう書かれていました。
「情報収集の利便性の向上(=事実)」
「真偽のコストが増大する(=問題)」
この二つのパーツが揃っているならば、その論理を繋いで「真偽のコストが増大するから、私たち自身の判断能力が試される」という【本文に書いていない語彙】を導き出すのは、至極真っ当な「読解」です。
本文の言葉をそのまま探すのが「検索」なら、
書かれていない言葉を使って、論理の隙間を埋めるのが「読解」です。
私は彼に、優しく、でもはっきりと伝えました。
「君はこれまで、正解という型に自分を押し込める練習を一生懸命頑張ってきたんだね。でも、これからはもっと自由になっていいんだよ。自分の頭で導き出した論理が正しいなら、たとえ本文にない言葉であっても、勇気を持って選んでいい。そうやってトライアンドエラーを繰り返す練習をしていきましょう(島田ニコニコ)」
その瞬間、彼はパッと明るい顔で、にっこりと笑ってくれました。
「正解を当てる」苦しさから解放され、論理を「編む」楽しさに触れた。
そんな表情でした。
難関校の国語は、単なる宝探しではありません。 著者が紡いだ論理の糸を、自分の頭で「思考の束」として編み直す作業です。 その「自由な読解」の楽しさを知ったとき、国語の景色は一変します。
ところで、いろいろな参考書を読むにあたり、
そこには、あまりにも「本文に書かれていない」という解説が多すぎます。
もっと、「この筆者はこんなこと本文に書くはずがない」、「なぜならこういう思想傾向の論者だからだ」とか、そういう論理的な想像力とともに、この「本文に書かれていない」という言葉を使用してほしいものですね。
私と一緒に、その新しい景色を見に行きませんか?
ぜひ一緒に勉強できる日が来ることを待っております。敬具。