「復習しなさい」が効かない理由。それは未来を知らないから。
こんにちは。神奈川で塾の運営に携わりつつ、オンラインで個別指導を行っているヒロユキです。
僕はこれまで約10年間、大手の中学受験塾で最上位クラスを担当したり、個別指導で多くの生徒さんを見たりしてきました。その経験から、はっきりとわかることがあります。
それは、小学生や中学生というのは、私たちが思う以上に「何もわかっていない」ということです。
■「体験」したことがない作業
ご家庭でよく聞かれる会話があります。 「ちゃんと復習しなさい」 「集中して勉強しなさい」
大人は、それが良い結果につながることを「知っている」ので、当然のように言います。しかし、子供は動きません。あるいは、嫌々ながら形だけやろうとします。
なぜ彼らが復習や集中を嫌がるのか。 それは「怠けているから」と結論づけるのは、少し早いかもしれません。
理由は単純です。 彼らは、「復習をして何かを覚えた」という体験、そして「その結果、テストの点数が上がった」という強烈な成功体験が、極端に少ないのです。
大人は「集中しろ」と簡単に言いますが、それは泳ぎ方を知らない人に「あそこまで泳げ」と言っているのに似ています。 泳げない人は、水に浮くという感覚も、息継ぎのタイミングも、水をかく推進力も、何も知りません。ただ、水が怖いだけです。
勉強も同じです。「集中する」という体験がなければ、どうすれば集中できるのか、集中した状態がどんな感覚なのかもわかりません。「漢字を書いて覚える」という作業も、「書いて覚えた結果、満点が取れた」という体験がなければ、それは苦痛な「作業」でしかありません。
■自転車に乗れない子に「バランスを取れ」と言うか
僕の指導の根源は、この「体験」と「実感」をいかにデザインするかにあります。
言葉で「こうやってごらん」と言うのは簡単です。しかし、それだけでは子供は動きません。
まさに、自転車の練習です。 「ハンドルをまっすぐ持って、ペダルを漕いで、バランスを取って」 こんな言葉だけで乗れるようになった人は、おそらくいないでしょう。
最初は後ろをしっかり持って支え、フラフラする感覚を一緒に体験し、ペダルの踏み込み方を足に触れて教え、少しスピードが出てきたら、そっと手を離してみる。 この「手取り足取り」のプロセスこそが、子供にとっての「初めての体験」になります。
■「できる」という臨場感をデザインする
僕は生徒を教えるとき、特に最初のうちは、かなり手取り足取り指導します。
大手塾の最上位クラスにいた子たちは、ある意味、この「やればできる」という体験を(意図したかどうかは別として)すでに持っていることが多いのです。だから、彼らは自走できます。
しかし、多くの子はそうではありません。 ですから、僕は本当に小さなところから始めます。
ノートの取り方。どの色ペンをどこで使うか。
鉛筆の持ち方、姿勢、目の動かし方。
広告(社会や理科の暗記事項)は、必ず声に出して復習しよう。
なぜ、そこまでやるのか。 例えば、「姿勢を正し、視線をテキストの一点に定める」という行為は、それ自体が「集中する」という体験の入り口だからです。
そして、非常に小さな範囲でテストをします。漢字5問でも、計算2問でも構いません。 手取り足取り教えた方法でやらせてみる。そして、マルがつく。
「ほら、今やった方法でやったら、点数が取れたね」
この具体的な「結果」こそが、子供にとっての強烈な「体験」となります。 「ああ、あの面倒な作業(復習)をやったら、この結果(点数)が出るのか」 この因果関係が、彼らの中で初めて実感として結びつく瞬間です。
僕が「臨場感のある授業」と呼んでいるのは、まさにこれです。 ただ知識を教えるのではなく、「こうすればできるようになる」というプロセスを、スモールステップで具体的に体験させ、実感させる。
■最初のガイド
大人は、復習という「種まき」が、テストという「収穫」につながる未来を知っています。予言者のような顔で「やりなさい」と言います。
しかし、子供はその未来を知りません。 彼らにとって復習は、何の役に立つかわからない、ただ面倒な作業です。
僕ら指導者の仕事は、その未来を言葉で説くことではなく、自転車の後ろを支えるように、最初の体験をガイドすることなのだと思います。
一度「あ、これか」という体験をすれば、彼らは自分でペダルを漕ぎ始めます。 もちろん、時々盛大に転びますけどね。それは、また別の話です。