算数ができる子の正体は「極度の面倒くさがり」かもしれない、という話。
算数ができる子の正体は「極度の面倒くさがり」かもしれない、という話。
こんにちは。ヒロユキです。 神奈川の秦野で小さな塾を営みながら、オンラインで全国の生徒と向き合っています。
日々、子どもたちのノートを見ていると、算数が得意な子と苦手な子の決定的な違いに気づくことがあります。 それは、計算の速さでも、暗記力でもありません。
「いかにラクをするか」という執念の差です。
今日は、算数が得意な子たちの頭の中を少し覗いてみましょう。 もしあなたのお子さんが、字が汚かったり、筆算を嫌がったりしていたとしても、それはもしかすると「才能の種」かもしれません。
彼らにとって「数字が大きくなること」は「悪」である
算数が得意な子たちの行動原理はシンプルです。 「無駄なエネルギーを使いたくない」。これに尽きます。
彼らのノートを見ると、筆算(ひっさん)が極端に少ないことに気づきます。 これは暗算が得意だから、というだけではありません。そもそも**「筆算が必要になるような、大きな数字の計算」を極力避けている**のです。
例えば、彼らにとって計算の途中で数字が大きくなることは、生理的な嫌悪感を催す「悪」です。 だから、常に**「約分チャンス」**を狙っています。式を見た瞬間、計算を始めるのではなく、「どこか削れるところはないか」と獲物を狙う猛獣のように目を光らせています。
割り切れるかどうかは、筆算せずに「倍数判定法」で瞬時に見抜く。
18と24を見たら、計算する前に脳内で「最大公約数は6、最小公倍数は72」と自動変換されている。
むやみに掛け算をせず、式のまま残しておいて、最後にバサバサと約分して消し去る。
彼らにとって、シンプルに、涼しい顔をして答えを出すことこそが「格好良い」のです。 逆に、愚直に筆算を繰り返して真っ黒になったノートを見ると、「美しくない」と感じてしまう。この**「数字に対する美的感覚」**こそが、彼らの強さの源泉です。
公式を知らないのではなく、必要としていない
また、上位層の生徒ほど「速さの公式(き・は・じ)」や「割合の公式」に冷淡です。 「公式なんて知らない」と言う子さえいます。
なぜなら、彼らは公式という「文字列」で問題を解いていないからです。 常に設問のシチュエーションを**「映像」**で具体的にイメージしています。
状況が見えているので、「何でもかんでも比で解く」という荒技が可能になります。 「速さが 2:3 なら、かかる時間は逆比で 3:2 だよね」と、直感的に処理してしまう。
彼らにとって、公式に数字を当てはめる作業は、せっかくの鮮明な映像をわざわざ退屈な文字情報に変換するようなもの。だから、面倒くさがるのです。
「8 + 5 = 14」に感じる強烈な違和感
よく「センスがある」と言われる子たちは、数字を「量」や「感覚」として捉えています。
彼らは、8 + 5 = 14 という式を見た瞬間、論理的に間違いだと気づく前に、**「気持ち悪い」**と感じます。 音楽家が調律のズレたピアノの音を聞いた時のような、生理的な不快感です。
この感覚(補数感覚や倍数感覚)が鋭いからこそ、桁間違いや単純な計算ミスをした瞬間に、「あ、なんか変だ」と気づき、自分で修正できるのです。
これを「ケアレスミスが多い」と嘆く保護者の方がいますが、彼らはミスをしていないわけではありません。「ミスの検知システム」が高性能なのです。
「字が汚い」の裏にあるもの
最後に、よくある悩み。「うちの子、字が汚いんです」。特に男の子に多いですね。
しかし、算数が得意な子のノートをよく観察してみてください。 計算のための「筆算スペース」は少ない代わりに、**「図や表、数列の書き出し」**が書かれていませんか?
彼らは、計算用紙を「計算処理の場」としてではなく、**「思考整理の場」**として使っています。 頭の中のイメージや試行錯誤のプロセスを書きなぐっているため、一見すると乱雑に見えることがあります。
しかし、手が止まらず、わからなくても「とりあえず試す」という姿勢で書かれたその文字は、実はとても価値のある「思考の痕跡」なのです。
さいごに
もし、お子さんが途中式を省略したり、独特な解き方をしていても、すぐに「学校のやり方と違う!」「もっと丁寧に書きなさい!」と叱らないであげてください。
もしかすると、その子は自分なりに「最も効率的なルート」を開拓している最中かもしれないからです。
必要なのは矯正ではなく、その「サボるための工夫(=効率化)」を、「おお、よくそんな楽な方法を見つけたね」と面白がってあげること。 それが、算数の芽を伸ばす一番の肥料になるはずです。
【今日からできるNext Step】
お子さんが宿題の問題を解いた後、一言こう聞いてみてください。 「ねえ、この問題、もっと楽しようと思ったら、どこでサボれたかな?」
「計算が面倒くさい」を「どう工夫するか」という建設的な議論に変える、魔法の問いかけです。