偏差値40の「算数が苦手」は幻想。戦略的誤解を解く方法
中学受験という過酷なゲームにおいて、偏差値40台から50台の踊り場で足踏みをしている親子には、共通の「認知の歪み」が見られます。
僕は国際大学大学院(IUJ)で国際関係学を修め、戦略的な力学やゲーム理論を学んできました。その視点から受験界を眺めると、多くの家庭が「戦う前のアナウンス」の段階で、すでに敗北を決定づけていることに驚かされます。
今回は、算数において生徒本人が抱いている、あるいは周囲の大人が植え付けている、2つの「致命的な誤解」についてお話ししましょう。
1. 「算数が苦手」という自己暗示の罠
僕の指導経験上、偏差値が伸び悩んでいる子の多くが「自分は算数が苦手だ」と公言します。しかし、僕が彼らの解法プロセスや思考の癖を分析すると、そのほとんどは「苦手」ではありません。
単に、解くための「武器(戦術)」を知らず、非効率な「根性論」という名の泥沼に足を取られているだけです。
綺麗すぎるノート作り
算数を「算数」として解こうとする生真面目さ
100 ÷ 25 = 4 といった基礎計算の自動化不足
これらは能力の欠如ではなく、単なる学習設計のミスです。 戦略家として言わせていただければ、彼らは「苦手」なのではなく、勝てる盤面を「放棄」しているだけ。僕は彼らに対し、最初から「君は算数が得意だよ」という前提で接します。なぜなら、最短距離の解法をインストールすれば、偏差値60まではただの「作業」に変わるからです。
2. 「やればできる」という甘美な麻薬
一方で、もう一つの厄介な誤解があります。「うちの子は、やればできるんです」という、親御さんや塾講師が好んで使うフレーズです。
確かにその子には、一瞬の閃きや高い知能指数があるのかもしれません。しかし、戦略的観点から言えば「やれない」ことは「できない」ことと同義です。
勉強しない自分を「本気を出していないだけ」と正当化するずる賢さ
効率的な解法を嫌い、自己流に固執するプライド
こうした生徒に対して「やればできるよ」と励ますのは、敗北が決定している戦場に無策で兵を送り出すのと同じです。 大人がすべきことは、優しい嘘を吐くことではありません。「君は今、全くやっていない。認識を改めない限り、良質な養分として受験システムに消費されるだけだ」と、冷徹な事実を突きつけることです。
戦略的勝利のために親ができること
正しい認識をさせる。それが、教育における大人の唯一の役割です。
多くの生徒が「できない自分」や「本気を出せばできる自分」という幻想の中で迷子になっています。彼らに必要なのは、感情に訴えかける応援ではなく、今の立ち位置を座標として正確に示してあげることです。
僕が提供するのは、小学生を「計算マシン」に変えるための、高校数学の概念を解体したドーピング解法です。 もし、お子様を偏差値60の壁の向こう側へ連れて行きたいのであれば、明日から以下の「非情な決断」を下してください。
意味のない計算過程を書き連ねる「綺麗なノート」をゴミ箱に捨てること。
「いつか本気を出す」という、価値のない期待を捨てること。
受験は学問ではありません。情報と作業効率のゲームです。 勝つための準備ができている方は、僕の戦略室(マナリンクの指導枠)でお待ちしています。
僕に言わせれば、偏差値60なんて、ただの通過点に過ぎないのですから。