テストの解き直しは、9割の子に必要ない
承知しました。②の要素を完全に外して、①一本に絞って書き直します。
テストの解き直しは、9割の子に必要ない
「テストが返ってきたら解き直しをしなさい」
受験業界でほぼ疑われることなく流通している定説だ。塾の先生も言う。家庭教師も言う。教育系のブログも判を押したように同じことを書く。
僕はこの定説に、かなり懐疑的だ。
解き直しをやっても成績が上がらない子を、この仕事で何人も見てきた。そういう子に共通しているのは「怠けている」ことではない。むしろ逆で、律儀に解き直しをしている。ノートに問題を写し、解説を見ながら手を動かし、赤ペンで丁寧に正解を書き込む。それをやって、満足して終わる。
翌月のテストで、同じ問題を間違える。
解き直しが「儀式」になっている家庭の正体
なぜこうなるのか。
解き直しという行為が「間違いを処理した」という感覚を与えるからだ。赤ペンで正解を書いた瞬間、脳は「やった」と感じる。でもそれは理解でも定着でもなく、ただの転記作業だ。
問題はその前にある。
偏差値40台から50台前半に停滞している子の多くは、解き直し以前の問題を抱えている。基礎の計算処理が遅い。公式や解法パターンの引き出しが少ない。割合や単位換算の感覚が体に入っていない。
そういう子がテストの解き直しをすると、何が起きるか。今の実力ではどれだけヒントを出されても自力では再現できない問題を、延々と「写経」することになる。解説を読んで「なるほど」と思う。でも次に似た問題が出たとき、まったく手が動かない。
「理解した気になる」と「解けるようになる」の間には、深い谷がある。そしてその谷を埋めるのは、解き直しではなく基礎反復だ。
基礎に戻ることへの奇妙な抵抗
ここで多くの家庭が陥るパターンがある。
基礎に戻ることへの心理的抵抗だ。
「うちの子はもう5年生なのに、今さら4年生の内容をやり直すのか」という感覚。あるいは「塾のテキストを追いかけるだけで精一杯なのに、そんな時間はない」という焦り。
その気持ちはわかる。でも冷静に考えてほしい。
土台のない建物に2階を作ろうとして、何が起きるか。柱が傾いたまま3階を作り始めるのが、偏差値停滞の正体だ。毎週新しい単元を「こなし」ながら、できない問題が積み上がっていく。解き直しをするたびに赤ペンで答えを写し、翌月また同じ箇所で詰まる。
このサイクルを断ち切る方法は一つしかない。立ち止まって、土台を固めることだ。
基本問題——偏差値でいえば52から55程度に対応する問題——が安定して自力で解けない子は、まずそこを徹底的に潰すべきだ。応用問題を解き直す前に、基本問題を時間制限つきで反復する。それを2週間続けると、テストの景色が変わってくる。
「今の実力より少し下」から始める合理性
「簡単すぎる問題をやっても意味がない」と思う親は多い。
これは完全に間違いだ。
簡単な問題を速く正確に解く練習は、計算処理の自動化を促す。自動化とは、考えなくても手が動く状態のことだ。九九を暗唱するとき、いちいち「7×8は何だっけ」と考える子はいない。同じことが、分数の計算でも割合の変換でも起きなければならない。
処理の自動化が進むほど、難問に使える認知資源が増える。逆に言えば、基礎の処理で脳みそを使い切っている子は、応用問題に頭を使う余裕がない。解き直しをしても何も残らないのは、タンクが満タンになっていないからだ。
「今の実力より少し下」の問題を、速く、正確に、大量に解く。地味で退屈な作業だ。でも偏差値が停滞している子に本当に必要なのは、たいていこれだ。
親が今週すべき「非情な決断」
テストが返ってきたとき、子どもが解き直しノートを広げていたとしよう。
そのとき一度、立ち止まって聞いてみてほしい。「この問題、ヒントなしで解ける?」と。
答えられなければ、そのノートは写経帳だ。閉じさせていい。
代わりにやるべきことは、その問題が属する単元の基本問題を5問、時間を計って解かせることだ。それが解けなければ、解き直しをする前の段階にいるということだ。順序を間違えないでほしい。
解き直しは魔法ではない。土台が整った子が、正しい問題に使ったときだけ機能する道具だ。それを儀式として消費している間、基礎反復に使えたはずの時間が消えていく。
受験業界では「解き直しをしなさい」という言葉が信仰に近い形で流通している。その信仰に乗っかって良質な養分を供給し続けるのか。それとも一度疑って、子どもの手を引き戻すのか。
判断するのは、親だ。