「小4の自分ならどう感じる?」——怒れない講師が見つけた、生徒が伸びる唯一の視点
中学受験の指導をしていると、「なぜこんな簡単なことが分からないんだ」という感情が頭をよぎる瞬間がある。
分かる。その気持ちは分かる。でも、そのもどかしさが出た瞬間、指導の質は静かに下がっている。
僕がそれに気づいたのは、一つの問いを持つようになってからだ。
「この子と同じ年の頃、自分はどうだったか」
指導者が陥る「逆算の罠」
多くの講師や親は、「今の自分」から子どもを見る。
既に解法を知っている視点から、知らない子どもを見下ろす。当然、もどかしい。「なぜこんなことに気づかないのか」と感じる。
しかしこれは、フルマラソンを完走した人間が、5キロ地点でへたり込んでいるビギナーを見て「なぜ走り続けられないのか」と首をかしげているのと構造が同じだ。
問いの立て方が、そもそも間違っている。
正しい問いはこうだ。「自分が小学4年生だったとき、何ができて、何ができなかったか」
「過去の自分」を召喚すると、何が起きるか
試しにやってみると分かる。
小4の自分を思い出すと、たいていの生徒は「僕よりよく頑張っている」と感じるようになる。これは励ましでも建て前でもない。冷静に比較すれば、塾に通い、テキストをこなし、週に何度も模試を受けている今の小学4年生は、かつての自分よりずっと負荷の高い環境にいる。
そう気づくと、褒め言葉が変わる。
「よくできたね」という評価の言葉ではなく、「それ、なかなかできないよ」という認識の言葉になる。無理に褒めようとする必要がない。実際にそう思うから、自然に口から出る。生徒はその違いを、思った以上に正確に感じ取る。
そして、もう一つ。
「至らない部分」への見方も変わる。
図がうまく書けない。変なところで計算ミスをする。同じ間違いを繰り返す。
過去の自分と照らせば、「まあ、小4ならそうだよな」という感覚が素直に出てくる。イライラの手前で、「自分もそうだった」という記憶がブレーキをかける。
これが、指導の継続性を保つ上で、地味に効く。
「自分だったら、どんな声掛けをしてほしかったか」
もう一段深めると、問いはこうなる。
かつての自分に、もし家庭教師がついていたとしたら、どんな言葉をかけてほしかったか。
この問いは強い。なぜなら、指導者自身の経験値を、そのまま目の前の生徒へのアドバイスに変換できるからだ。
自分が詰まっていた場所、なかなか突破できなかったパターン、誰かに言われて初めて腑に落ちた一言。そういう記憶は、テキストに書いていない。しかし、生徒が本当に必要としているのは、そういう言葉だったりする。
マニュアル通りの「解説」ではなく、同じ場所でつまずいた人間から来る「声掛け」。
その違いが、指導の温度を決める。
成績が上がり出した、本当の理由
この考えを持つようになってから、担当した生徒の成績が上がり始めたと、僕は感じている。
理由は単純ではないかもしれない。ただ、確かに言えることがある。
生徒が「この先生は自分のことを分かっている」と感じたとき、初めて指示に従うようになる。信頼のない場所では、どんな正しい指導も素通りする。信頼は、正論では作れない。
「あなたと同じ場所にいたことがある」という事実が、言葉の重さを変える。
指導とは情報の転送ではなく、関係性の中で起きるプロセスだ。その関係性を作る最短ルートが、「過去の自分を鏡にする」ということなのだと、今は思っている。
親御さんへ
もし今、お子さんの成績が伸び悩んでいて、なぜ伸びないのかが分からないのであれば、一度問い直してほしいことがある。
指導している大人は、「今の自分」から子どもを見ているか。それとも、「かつての同じ年齢の自分」と並べて見ているか。
その違いが、同じ説明をしたときに生徒の顔に浮かぶ表情を、全く別のものにする。
偏差値は、テクニックだけでは上がらない。生徒が「この人の言うことなら信じてみよう」と思った瞬間から、初めて動き出す。
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