高校入試の主人公は「あなた」、という二人称小説

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2022/9/19

そもそも英語も「三人称単数」というようなものが出てくるころから、楽しくなくなるものだ。三人称、というネーミングが失敗だと思う。昔の偉い人が考えたのだろうが、三人などというから、人数のことか思ってしまう。三人だから、複数、なのに三人称単数だなんていったい何だよ、と思ってしまうのも無理はないと、私は思う。



私は過去のマナリンクブログで、「小説なんて、所詮つくり話」「国語の教科書や問題に出てくる小説はおもしろくない」「国語の小説はストーリー展開よりも人間の心情(の変化)に重きがおかれているのでそれを確実に読み取ることが大切である」のような趣旨のことを書いたことがある。そして、(国語に出てくるものに限らず)小説というものは、「人称」で言えば「一人称」か「三人称」のどちらかで書かれている。一人称小説の場合は特に「私小説」と呼ばれ、「私」を主人公として話が進められる。日本人はこれが好きだ。三人称小説というのは、太郎のような一人の主人公がいて、その視点で描かれる小説である。私小説の場合は当然のことだが、三人称小説でも「視点」は主人公に固定されていて、心情が直接書かれているのも主人公だけである。他のキャラクターの心の中までは記述されないのが普通だ。「神の視点」という手法であらゆる登場人物の心理が描写されている小説もないわけではないが、きわめて珍しいといってもいい。



 コミュニケーションというのは、発信者がいて受信者がいるところで成立する。話し手がいて、聞き手がいる。文章だと、書き手と読み手がいる。そして、発信者のことを「一人称=私」といい、受信者のことを「二人称=あなた」という。この文章の場合なら、書き手の「私=金子」の書いたものを今、読み手としての「あなた」が読んでいるという訳である。



人称の話をもう少し分かり易くたとえてみよう。ここに愛し合っている「私とあなた」がいるとしよう。普通は、世の中で一番大切なのは自分だから、これを「1」とする。そして、次は愛する「あなた」で、これが「2」。この愛の世界には、他のどんな人も事物も入り込むことはできない。すべて、第三者である。これらの人物・事物を「3」とする。第三者である以上、「私の姉」も「あなたの愛犬」も「私の大切な本」も、二人の世界に侵入することは不可能なのである。つまり、この「1」「2」「3」こそが人称の世界なのである。三人称というと、何かしら特殊な世界のような気がするけれど、考えてみると三人称の方が圧倒的に多いのである。というよりもほとんどすべてが三人称なのであって、一、二人称の方が特別なのである。英語の話では、三単現のsという問題があって、これに「単数」か「複数」かどうかということが絡んでくる。可算名詞が複数のときに語尾にsをつけるという規則と、この三単現の話がごちゃ混ぜになって、よけいにややこしくなるのだが、とにかく人称についてはよく理解しておきたい。



さて、国語の小説には一人称小説と三人称小説の二種類がある、と述べたが、二人称小説というものにはお目にかったことがない。作者が常に読者をあなたと呼び、しかも、その「あなた」の心理も描きながらストーリーが展開してゆくという不思議な世界だ。実験的に書かれたものもあるそうだが、読んだことはない。高校入試という、人生の中の大きな節目を迎える生徒にとっては、主役はもちろん「あなた」である。これからの期間、さまざまな心の起伏はあるだろうと思うが、ぜひともハッピーエンドの結末が待っていることを心から祈る。

 

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