表現と論理はつながっている【問題編】
みなさま、こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。
冬期講習のお申し込みや受験対策の申し込みがすこしずつ増えてきて、みなさんの国語の読解力に日々触れることができ、楽しい日々を過ごしている島田です。
最近、海外にお住いの生徒様や、小学生のお子様などもお教えする機会が増えて、生徒様それぞれの言語環境の違いや言葉の使い方の違いに触れることが多くなってきました。
ひとそれぞれ言語環境が違い、いままで親しんできた語彙が違うのは当然です。
それは文章を書いている作家とて同じことです。
自分が思っている語彙のイメージやニュアンスは千差万別で、他者の文章を読んでいくと、自分が今まで感じたことのない語彙にであうことがあるでしょう。それは自分の言語環境を一新させてくれるかもしれない有益な他者だと私は思います。だから人は本を読み、新しい表現方法を知るのですね。よくわからない、、、という表現こそ、熱心に考えてみるべきですね(^^♪
話は少し変わりまして、現代文を「論理」一本で読もうとする人がいます。
もちろん、「論理」はとても大切です。
「つまり」、と来れば言い換えをしているわけですし、「そのため」、と来れば次には結果が述べられるはずです。このように、話者と論理構造を共有することで、私たちは相手の話の展開を想像し、先読みし、コミュニケーションの齟齬をなくすことができます。
ですが、一方で、「論理」だけで作られていないのが、「人文科学系の文章」だと私は思います。
昔教員時代に石田衣良さんの『「迷う」力のすばらしさ』という教材を読んでいく際、冒頭にある次の文章を生徒と一緒に読みました。
「キーワードをひとついれて、エンターキーをたたく。」
さて、みなさんはこの文章の表現上の工夫を読み取ることができるでしょうか。
そして、この一文で、この話がどんな話になるか先読みできるでしょうか。
実はこの一文だけで、論理展開が読めると私は思います。この一文に込められた「表現」に敏感になればそんなことも可能なんですよ(^^♪
Let's think.
続きは次回に。
寒い季節柄、風邪などひきませんように。