ことばたちが語りかけてくるもんで ~前期試験の前の「こころ」の持ち方~
マナリンクの島田です。
いよいよ今週は国公立大学の前期日程ですね。
受験生の皆さんはもちろん、それを見守るご家族の皆さまも、張り詰めた空気の中にいらっしゃることと思います。
そんな受験直前のこの時期、私はといえば…… 相変わらず、電車を乗り過ごしています。(ん?)
電車での移動中も、気づけばカバンから過去問や問題集を取り出しています。
揺れる車内で、次の生徒の予習をしなきゃ!と現代文の文章を読んでいる時間は、私にとって楽しい格闘タイムです。
私の降りる駅は、終点の一つ手前。
いつもはそこでパッと現実に戻るはずなのですが、過去問を解き、深く文章に潜り込んでいると、車内アナウンスも、周りのガヤガヤも、すべてが消えてしまいます。
ハッと顔を上げたときには、誰もいない終点のホーム。
やってしまった(いやいつものことです滝汗)
清掃員の方と目が合い、別に間違えてませんけど風な顔を装って、反対側のホームへ歩き出すのが、もはや私の「冬の風物詩」です。
この話をどうしてしているかというと(ここからそれっぽい路線に戻れ私✌)
文章に深く入ると、雑念がなくなるものだと思うのです。
「いかに早く、その文章の中に入れるか」
結局、入試本番で勝負を分けるのは、ここだと思っています。
多くの受験生が、試験会場で「自分が試されている」という重圧に押し潰されそうになります。
でも、「評価される立場」という受動的な恐怖心の中にいる間は、
言葉の真の姿は見えてきません。
緊張をほぐす特効薬は、
「この文章、面白いな」
「設問者は、ここで私に何を気づかせようとしているんだろう?」
と、目の前の紙面と能動的な「対話(ダイアローグ)」を始めてしまうことです。
評価される立場から、対話する立場へ。
そうやって文章の世界へ一歩踏み込んだ瞬間、
周りの雑音は消え、あなたはもう迷路の中にいません。
私が電車を乗り過ごすのは、決して不注意だからではありません(いや、不注意なんですけども、まぁ、はい、滝汗)。
そこにある言葉たちが、私に問いかけてくるからです。
その「対話の愉しさ」を知っているからこそ、私は終点まで運ばれてしまう。
今週、試験に挑む皆さん。
どうか、試験官の顔色を伺うのではなく、
筆者の魂と、設問者の意図と、真っ向から遊んできてください。
文章の中に入り込み、言葉と格闘する悦びを知る人には、必ず道が開けます。
大丈夫。 没頭の先にある「正解」は、あなたを待っています。
最後の一分、最後の一行まで。 言葉の格闘を楽しんできてください。
(……みなさんは試験会場の行きの電車でおり過ごさないようにしてくださいね!切実!)
グッドラック!