数学に「国境」はない。算数と高校数学で殴り勝つ中学数学
こんにちは、ヒロユキです。 神奈川で塾を経営しながら、オンラインでも生徒たちの指導にあたっています。
「方程式」という万能な金槌
中学生になると、皆一様に「x(エックス)」という武器を手にします。 方程式です。これは確かに便利な道具です。わからない数をとりあえず文字で置いてしまえば、あとは手順通りに式変形するだけで答えが出る。魔法のようなツールです。
しかし、ここに落とし穴があります。 「方程式を使えば解ける」という安心感が、いつしか「方程式でなければ解いてはいけない」という強迫観念に変わってしまうのです。
心理学に「ハンマーを持つ人には、すべてが釘に見える」という言葉があります。 方程式というハンマーを手にした中学生は、目の前の問題がネジだろうがガラスだろうが、すべて方程式で叩き割ろうとします。
結果、どうなるか。 本来なら数秒で終わる計算に、数分かけて x と y を連立させ、計算ミスのリスクを自ら高めてしまうのです。
小学校の「算数」を見下してはいけない
ここで僕が推奨したいのが、小学校の「算数」への回帰です。
例えば、食塩水の濃度問題や、速さと比の問題。 これをバカ正直に方程式で解くのと、天秤算や面積図、あるいは「比(Ratio)」の感覚を使って解くのとでは、処理速度に雲泥の差が出ます。
算数の発想は、具体的で直感的です。 方程式が「論理の積み上げ」なら、算数は「図形的な直感」や「全体を俯瞰する視点」に近い。
難関校の入試問題ほど、この「算数的なショートカット」が有効に機能するように作られています。 方程式を立ててカリカリと計算している横で、算数の感覚を持った生徒は、暗算に近いレベルで答えを出し、涼しい顔で次の問題へ進んでいく。
プライドを捨てて、使えるものは親の教えでも小学校の算数でも使う。それが勝負の鉄則です。
高校数学という「高台」からの景色
一方で、視線を未来へ向けることも重要です。 高校数学の概念を少しだけ知っておくこと。これもまた、強力な武器になります。
中学数学と高校数学の間に、明確な断絶があるわけではありません。 例えば、中学で習う図形の証明や関数の問題の多くは、高校で習う「ベクトル」や「微分」の概念を知っていれば、「なぜそうなるのか」という背景が手に取るようにわかります。
もちろん、記述式の解答用紙に高校の公式をそのまま書けば減点されるリスクはあります(学校の先生はそういうのを嫌う傾向にありますから)。 しかし、「検算」や「当たりをつける」ためには、これほど強力なツールはありません。
ゴール(答え)がどこにあるかを知った上で、そこに向かう道筋(中学数学の解法)を書くのと、暗闇の中を手探りで進むのとでは、精神的な余裕がまったく違います。
数学はシームレスである
結局のところ、数学という学問に、学年という区切りはありません。 「ここは中学の範囲」「あれは高校の範囲」と勝手に線を引いているのは、カリキュラムを作る側の都合であって、真理を探究する側には関係のない話です。
伸びる生徒は、この境界線が曖昧です。 彼らにとって重要なのは、「どの学年の知識か」ではなく、「どの道具を使えば、最も速く、正確に、美しく解けるか」だけです。
最後に
もしあなたが、学校の授業で「まだ習っていない解き方をしてはいけません」と言われたとしても、心の中でこう呟けばいいのです。 「ふふ、でも僕(私)は、そのさらに先を知っているけれどね」と。
その小さな優越感と余裕こそが、入試本番での強さにつながります。
方程式だけにこだわらず、過去(算数)と未来(高校数学)の両方から知識を総動員して、現在(中学数学)を挟み撃ちにする。 それが、圧倒的な結果を出すための最短ルートです。
さて、僕もそろそろ過去(昨日の夕飯の残り)と未来(明日の朝食の仕込み)を考えつつ、現在(今夜の授業の準備)に戻るとしましょう。 日常というのもまた、シームレスなものですから。
それでは。