中学受験は残酷か。凡人が勝つための非情なスポーツ戦略論
僕、ヒロユキは、国際大学大学院(IUJ)で国際関係学を修めました。地政学やゲーム理論を学んだ人間からすると、世間に溢れる中学受験批判は、非常に興味深く、かつ滑稽に映ります。
よく耳にするのは、過酷な勉強が子供の自信を奪う、といった感傷的な意見です。 しかし、そんなことを言っている間に、偏差値60の壁の向こう側では、淡々と「勝利への作業」が進められています。
スポーツなら許され、受験では叩かれる不思議
なぜ野球やサッカーで補欠になり、才能の差を突きつけられることは感動的な物語になり、中学受験で偏差値が届かないことは残酷な悲劇として語られるのでしょうか。
野球で150キロを投げる天才に勝てないなら、工夫を凝らしてバントをするか、配球を読んで打ち崩す戦略を練るはずです。中学受験も全く同じ。自分に才能がない、あるいは地頭が足りないと嘆く暇があるなら、相手より足りない部分をどう補うかという「非対称戦」の思考を持つべきです。
一生懸命勉強している生徒に対して、外野が勝手に同情するのは失礼です。彼らは今、人生で初めての「戦略的闘争」に身を投じているのですから。
偏差値40台の親子が陥る「綺麗なノート」という罠
マナリンクで全国の生徒を見ていて思うのは、偏差値40台から50台前半で停滞している子の共通点です。それは、驚くほど真面目で、ノートが綺麗だということです。
カラフルなペンで整理されたまとめノート
算数を算数として律儀に解こうとする姿勢
公式を丸暗記しようとする努力
これらはすべて、戦略的には「良質な養分」になるための行動でしかありません。 偏差値60を超える層は、ノートの美しさなど気にしません。彼らが求めているのは「正解という戦果」のみです。
算数の問題を、わざわざ小学生の拙い武器だけで解く必要はありません。 僕は指導の中で、高校数学の概念を解体して教えます。内分や外分の比の感覚を、計算マシンとして使えるレベルまで落とし込む。いわば、竹槍で戦う相手に、使い古されたライフルを渡すようなものです。
合格最低点を最短距離で超えるための情報戦
戦略家として断言しますが、入試問題はすべて「攻略対象」です。 神奈川の聖光・栄光から、地方の難関校まで、それぞれの学校には特有の「癖」があります。
偏差値を上げることに躍起になるのではなく、志望校の合格最低点をどうやって1点上回るか。そのために、どの問題を捨て、どの問題でドーピングのような裏技解法を使うか。この意思決定こそが、親の役割です。
合格というリターンを最大化するために、今は子供の「やりたい勉強」ではなく「勝てる作業」にリソースを集中させてください。
明日から親ができる「非情な決断」
もし、お子さんの偏差値が40台で止まっているなら、今すぐその「綺麗なノート」を捨てさせてください。そして、すべての問題をスマートに解こうとする真面目さを捨てさせることです。
中学受験は学問ではありません。情報戦と作業効率のゲームです。 感情を排除し、冷徹に合格率を計算しましょう。
それでも、我が子の努力を無駄にしたくないというのであれば。 僕のような「戦略家」の意見を、少しだけ取り入れてみるのも、悪くない選択だと思いますよ。 もちろん、その非効率な努力を続けて、他の受験生の「養分」であり続けるのも、個人の自由ではありますが。