教えるのをやめた教師が見つけたもの──私が『学び合い』に魅せられた理由
はじめに
「先生が教えない授業」を、
あなたは想像できますか?
はじめまして。江見といいます。
私は日本の公立中学校で数学を教えてきましたが、
ある日を境に、黒板の前から姿を消しました。
教えることを手放したのです。
すると、教室の空気が少しずつ変わり始めました。
静かだった子が声を出し、
ヤンチャな子が誰かを助け、
できないと思っていた子が誰かのヒーローになっていく。
生徒の力は、私たちが思っているよりずっと大きい。
そう気づくまでの私の道のりを、今日は少しだけお話しします。
私は最初、“教える先生”でした。
教員になりたての頃、私は「先生が教えるものだ」と信じきっていました。
授業に集中しない生徒を見るとイライラし、
叱ったり、声を荒げたり、
感情で教室を動かそうとした時期が確かにありました。
怒れば静かになる。
大きな声を出せば従う。
そんな“強い教師像”を支えにしながら、
どこかで自分自身もすり減っていました。
でも、そのやり方では、教室はいつも緊張に満ちていて、
生徒の表情はどんよりと沈んでいきました。
「何か違う、でも、どうすればいいのか、わからない…」
そんなモヤモヤを抱えたまま、授業を続けていたある日──
私は忘れられない光景に出会います。
生徒同士が教えあっていた。
私はその光景に負けた。
授業後、残っている生徒の机が自然に寄っていて、
数学が苦手な子同士が、互いに説明をしていました。
正直、最初はこう思いました。
「苦手同士で教えあっても無意味なんじゃないか?」
でも、耳を澄ませると、
彼らは私よりもずっと“分かる言葉”で説明していたのです。
つまずくポイントが分かる。
相手のペースに合わせられる。
不器用だけれど、丁寧で優しい説明。
そして、確かに “理解の瞬間” が生まれていました。
「教師が教えなくても、学びは起きるのかもしれない。」
私の説明より、友達の説明の方が届くことがある。
むしろ、その方が多いのではないか。
私の“教えるべきだ”という思い込みは、
生徒の力を信じていなかった結果でした。
そう考え始めた頃、
私は運命的にある概念に出会います。
『学び合い』
生徒同士が学び、支え合う授業
それが『学び合い』でした。
教師はすべてを説明しない。
生徒どうしが助け合い、
“誰一人見捨てない” を目標に学びをつくる授業。
最初は半信半疑でした。
でも、あの日見た生徒の姿が背中を押しました。
「やってみよう」と。
そして実践した初日、私は驚きました。
生徒が自分たちで動く。
教え合う。
できなかった子が、誰かの言葉でできるようになる。
教室のあちこちに、小さくてあたたかい成功体験が生まれていました。
「この授業は、数学以前に“生きる力”を育てている。」
そう感じた瞬間でした。
黒板の前から離れたことで見えてきたもの
私は教えるのをやめてから、
初めて “生徒の力” を信じられるようになりました。
助ける力がある。
支え合う力がある。
誰かを笑顔にできる力がある。
そして、
教師はその環境を整えるだけでよいのだ
と気づきました。
私は“教える先生”から、
“支える先生”へと変わっていったのです。
デンマークへ
そして、オンラインでの新しい挑戦
現在、私は家族の事情でデンマークに暮らしています。
デンマークの教育は、
知識よりも“体験”が重視され、
子どもたちは経験を通じて学んでいきます。
「生きる力を育てる」という点で、
『学び合い』とどこか響き合うものを感じています。
そして、今はオンラインで
“世界中の子どもたちがつながり、支え合う学び合い”
を実現できる未来を本気で考えています。