[北米での社長の仕事 1] 通訳不要の英語力
北米への駐在を命じられたとき、多くの人がまず心配するのは英語力でしょう。その心配は残念ながら的中します。通訳を通せばコミュニケーションはできると考えている人も多いでしょうけど、現地社員とのコミュニケーションで通訳をいちいち介していては彼らの信頼を得るのが難しいです。これは私自身の13年間の駐在経験から言える事実です。
私はもともと技術アドバイザーとしてカナダに赴任しました。当時は英語力にはある程度の自信があったのですが、それはあくまで技術者としての自信であって「社長」という立場への自信ではありませんでした。ところが赴任して4年め、思いがけず現地法人の社長を任されることになりました。しかも同時に、それまで一緒に働いていた数名の日本人駐在員は、私一人を残して全員日本へ引き上げてしまいました。文字通り私一人で現地に立たされたのです。
もちろん不安はありましたけど、やるしかない状況でした。Professional Engineerとしての仕事も並行しながら、ドラッカーの著書を読み込み、現地の弁護士に相談し、会社法のセミナーに通い、リーダーシップやコーチングのトレーニングも現地で積極的に受けました。現地の法律も原文で何度も精読しました。こうして知識と経験を一つずつ積み重ねるうちに、少しずつ自信がついていきました。
私が着任する前、この会社では社長が数年ごとに交代を繰り返していました。方針はそのたびに変わり社員とのコミュニケーションもうまくいっていなかったようです。私が来た当初、社員たちの間には「またどうせすぐ変わるんだろう」という空気が漂っていたのを覚えています。しかしその空気は私が社長に着任して1年で変わりました。社員たちは次第に私によく話しかけるようになって、私が示す方針についてきてくれるようになりました。
結果として、赤字が続いていた会社は3年で黒字に転換し、7年目には法人単独として過去最高の売上と利益を記録したのです。私は結局社長を9年間務め、次の世代に経営を引き継いで引退しました。
いろいろありましたが、この9年間で得た成果は通訳を介していては絶対に実現できなかったと今でも思っています。テンポよく会話を進める語学力、相手の質問やコメントに瞬時に切り返す瞬発力、そして自分自身の言葉で相手の目を見て話すことで得られる信頼。このような直接対話の積み重ねこそが、社員との関係を築く土台になっていました。
もちろん語学力さえあれば経営がうまくいくわけではありません。語学力はあくまで最低限の必要条件にすぎないのです。本当に重要なのは、その語学力を土台にして何ができるかということです。私自身もこの9年間うまくいったことばかりではありませんでした。判断を誤ったこと、社員との関係で悩んだことも数え切れないほどありました。
これから海外駐在や海外移住を控えているご家庭にお伝えしたいのは、「英語さえできれば安心」ではなく「英語はスタートラインに立つための最低条件」だということです。そのスタートラインに立った後、いろいろなことに悩み、新しいことを学び、困難を乗り越える必要があります。私自身が経営の現場で実際にぶつかった課題、たとえばマネジメントや労務管理、社員との向き合い方などについて、具体的なエピソードを一つずつ紹介していきます。