「自分で決める学び方」で人生が変わる ~中高生に伝え続けたい「選択」の話~
2025/6/22
学校の探究の授業で自分が探究するテーマを決めると思います。しかし、ふつうはなかなかテーマが決まらないでしょう。それは当たり前で、本を読まないと問いなど生まれてこないからです。
生活の中や学科の勉強の中で問いが生まれてきた人はラッキーです。問題意識を持って主体的に勉強に取り組めている証左です。
さて、受験勉強はみずから主体的に勉強する姿勢があれば、わりとすんなり志望校に合格するものです。これまでたくさんの生徒を見てきて、私はそう思います。合格しなかった生徒というのは、受験の本当の直前までやる気が出なかった生徒です。2勝5敗とか 1勝7敗というようなギリギリで合格している人は、10月を過ぎてやる気を起こして、3か月でどうにかした生徒です。
基本的には、受験というものは、自分の管理が自分でできていれば思うような結果に届きます。それで思う結果を得ることができなかったというのは、勉強のやり方を間違っているだけです。
例えば、12月になれば、駆け込み寺のように駆け込んでくる生徒さんが毎年いますが、どうにもならない生徒はどうにもなりません。英語で言えば音読の絶対量が不足しているので正答率が低いわけですが、1ヶ月で音読の絶対量を増やすのは物理的に無理です。したがって、どうにか小手先のテクニックで点が上がるように指導しますが、当たり前ですが、3年間みっちりと音読の練習をしてきた受験生が大量にいるわけで、当然負けてしまいます。
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受験勉強も人生も、みずから主体的に何かを選ぶことが重要です。指示待ち人間では人生自体がぱっとしません。当たり前ですが、受験の結果だってぱっとしたものにはなりません。
例えば、冒頭に書いた探究活動において、文科省は生徒の自主性を伸ばそうとしているのでしょうが、「さあ、自分で考えよう!」と言って考えることができれば、誰も苦労しないという話です。
考えるには技が必要です。その技を誰から学ぶのかという話です。
私は哲学をやっていますから、ある程度、論理的思考力と呼ばれているものにパターンがあることを知っています。また、歴史に名を残す哲学者の考え方も、いくつかは知っています。例えば、デカルトは、ありとあらゆるものを疑った結果、理性と言い出しました。「もし私が悪魔に騙されていたらどうしよう」とまで疑ったわけです。そういうのは何も荒唐無稽な話ではなく、ひとつの考え方なわけです。
そういった考え方の型を知らないと、みずから主体的に考えることができません。仮にできたとしても「これは考えてはいけないのではないか」というストッパーが外れません。なぜなら、これまで大人=文科省=学校の先生が「よい」と判断した枠の中で「培養」されてきたわけですから。
余談ですが、私は永井均氏の哲学から、「考えてはいけないことはなに1つとしてない」ことを知りました。知った瞬間、おおきく人生が変わりました。その結果、出版社が3冊も本を全国発売してくれました。哲学エッセイです。出版記念で、出版社がAKB48のある人との対談を組んでくださいました。みずから主体的に生きると、人生おもしろいことが起こります。
というわけで、自分で学び方を決めて、自ら主体的に勉強しようと思えば、あるいは自ら主体的に生きる生き様を目指そうと思えば、ある程度、それができている先生につくのがベターです。生き様というのは良き師に導かれたら、いくらでも変更可能なものです。
またまた余談ですが、私の師は、日本大学と早稲田大学で哲学を教えておられたE先生と、理系の大学および大学院で生物学を教えておられたN先生、それに現在の哲学の先生(中島義道先生と福田肇先生)です。大人は楽しいもので、ときには泥酔してもなお、モノを教えてくださいます(笑)。有難い話です。
1から10まで手取り足取りやってくれる先生につくから、いつまでたっても主体的な勉強態度が身につかず、その結果、大学受験に失敗するのです。多少失敗してもいいから、まず思う通りにやってごらん、とボールを投げ、そこで苦戦している姿をじっと見つめつつ応援してくれ、適宜なんらかをアドバイスしてくれる。なんなら考え方の型も教えてくれる――そういった先生につくという「選択」をぜひなさってください。生き様はいくらでも変更可能です。
ちなみに私のような年、つまり49歳になっても、変更は可能です。優れた先生は、昨日と同じ自分であってはならないと肝に銘じ、日々勉強しています。すなわち自分を変革させようと努力しているのです。
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