海外生活と多様性を受け止める力
2025/3/12
みなさん、こんにちは。
私は鹿児島生まれの鹿児島育ち、話せる言葉は日本語と鹿児島弁。当然のように鹿児島で一生を過ごすものだと思っていました。こんな私が、まさかの海外生活を送るとは...。突然、小3と小6の子供たちを連れて家族四人でメキシコ生活をすることになりました。
当時メキシコでは、水もガスも電話で注文!一生懸命覚えた単語を使って、どきどきしながら受話器を握りしめ要件だけを伝え電話を切る、質問されることが怖かったからです。また、衣料品店でTシャツを手に「これを買いたい。」と言ったつもりが「これを食べたい。」と…。歯がゆい思いをたくさんしながらメキシコでの生活に少しずつ少しずつ慣れていきました。
そんな中、メキシコに幼稚園・小学校・中学校の一貫校を設立した日本人の女性に出会いました。片言のスペイン語しか話せない私に「メキシコの子供たちに広い世界をしってほしい。」「日本人が教壇に立っているだけでいいんだ。」とおっしゃいました。私はその幼稚園で外国人(日本人)として教壇に立ちハポネス(日本語)の授業を担当することになりました。
言葉での説明は上手くできませんでしたが、授業はとても楽しかったです。教具を使った日本式の学習はメキシコの子供たちにも大好評で、子供たちが紙で作った魚にクリップをつけ磁石をつけた釣り竿で魚釣りをしたり、日本の歌(チューリップ等)を歌ったり~。発表会では「大きなかぶ」の劇を日本語とスペイン語交じりで披露し、メキシコの保護者の方にも絶賛されました。
最初は、私がメキシコの子供たちを受け入れているつもりでしたが実は反対でした。メキシコの子供たちが私のことを受け入れてくれたのです。価値観の異なるメキシコ人と日本人が混じり合い、溶け合い、新しいものがうまれる。メキシコの子供たちの姿を見て、多様性を受け止める力を育てることが教育なのかもしれないと感じました。
私の子供たちはと言うと、現在二人とも海外と関わる仕事をしています。特に娘はお花のバイヤーとしてタイやマレーシアの農場を飛び回ったり、また来日した農場主の方に日本を案内したりしています。いつの間にか日本人も外国人もみんな同じ「人」としてとらえています。メキシコで歯がゆい思いをしてきたことは決して無駄ではなかったと痛感しています。
海外で生活していると知らず知らずのうちにグローバルな視野に立って多様性を受け止め受容することができるようになっている、そのことをアメリカの現地校に通う日本人の中学生との授業を通しても感じました。自分の意見を主張はするが他の人の意見や行動も認めることができる、つまり個々人の価値観に寄り添い受容することができる。日本の常識が通用しない海外だからこそ、いつの間にか広い視野に立ち考える力が備わってくるのだと思います。「こうしなければならない」ではなく「これもあり」「あれも素敵」と認めることができる。とても貴重な経験です。
海外生活ではご不便なことも多いことでしょう。言葉の壁や文化の違いなど戸惑うことも多いはずです。しかし、そういう環境で生活している皆さんだからこそ、いつの間にか多様性を受け止めることができるようになっている、そしてそれは考える力へと確実に繋がっていると確信してください。その力は何にも代え難い素晴らしいものであることを心からお伝えしたいと思います。
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