英単語が覚えられないのは、あなたの母語が貧弱だからです!

偏差値50未満の生徒が全員早慶合格——伝説の塾が教えてくれたこと
私がかつて講師として働いていた東京のある塾は、今はもう存在しません。塾長が癌で亡くなり、その独特な教育システムとともに歴史を閉じました。しかし、知る人ぞ知る「馬鹿を天才に変える塾」として、教育業界では伝説的な存在でした。
何が伝説かというと、その合格実績です。そこら辺の公立中学や高校に通う、偏差値50にも届かない生徒たちが、医学部や早慶に全員合格するのです。少なくとも私がいた7年間、在籍した生徒の全員が早慶レベル以上に合格していました。明治大学や青山学院大学が滑り止め——そんな信じられない環境だったのです。
その塾はかなり変わっていました。生徒たちは学校が終わるとほぼ毎日塾に来て、部活動のように毎日2〜3講座を受講します。確かに親の経済状態が恵まれている子が多かったのは事実ですが、単に授業をたくさん受けていただけでは、あの圧倒的な合格実績は説明できません。
その塾の真の秘密は、講師という大人が常に生徒と会話をしていたことにあったのです。授業の合間に、休憩時間に、時にはくだらない雑談を交えながら、私たち講師は生徒たちと徹底的に対話しました。ニュースの話、社会の出来事、文学の話、科学の話——受験勉強の枠を超えた、あらゆる話題について語り合いました。
今になって気づいたのです。あの塾で生徒たちが鍛えていたのは、英語や数学といった科目の知識だけではなく、何よりも「母語」だったのだと。大人との深い対話を通じて、生徒たちは豊かな日本語の語彙を身につけ、抽象的な概念を理解する力を養っていたのです。そしてその力こそが、すべての学習の土台となり、彼らを「天才」に変えていったのです。
母語と外国語学習の深い関係
あの塾での経験から、私は確信しています。英単語がなかなか覚えられない、何度暗記してもすぐに忘れてしまう——その原因は、実は母語である日本語の語彙力が不足しているからなのです。
外国語学習において、母語の力は想像以上に重要な役割を果たしています。私たちは新しい英単語を学ぶとき、無意識のうちに日本語の知識を土台として活用しています。「elaborate」という単語を覚えるとき、「精巧な」「入念な」といった日本語の意味と結びつけて理解します。しかし、もしその日本語自体の意味が曖昧だったり、語彙として持っていなかったりしたら、英単語の記憶も不安定なものになってしまうのです。
あの塾の生徒たちは、毎日大人と会話する中で「精巧な」「入念な」といった言葉を自然に使いこなせるようになっていました。だから「elaborate」という英単語に出会ったとき、それは単なる暗記ではなく、既に持っている豊かな日本語の概念と結びついて、すんなりと頭に入っていったのです。
言語学習の研究でも、母語の語彙力が高い人ほど外国語の習得が早いという結果が出ています。これは、豊かな母語の知識がいわば「フック」となって、新しい言葉を引っかけて記憶に定着させるからです。逆に言えば、母語の語彙が貧弱であれば、そのフック自体が少なく、英単語は頭の中を素通りしてしまうことになります。
具体例で考えてみよう
例えば「strategy」という英単語があります。これは「戦略」という意味ですが、もし普段の日本語で「戦略」という言葉を使わず、その概念も十分に理解していなければ、この英単語を記憶することは困難です。「なんとなく計画みたいなもの?」という程度の理解では、記憶の定着に必要な明確な意味のイメージが持てません。
あの塾では、講師が生徒に「この問題を解く戦略を立てよう」「君の受験戦略はどうなっている?」といった形で、日常的に「戦略」という言葉を使っていました。そうした会話の積み重ねで、生徒たちは「戦略」が単なる計画ではなく、「目標達成のための長期的な方針や筋道」を意味することを体得していたのです。
あるいは「meticulous」は「細心の注意を払った」「綿密な」という意味です。しかし日本語で「綿密」という言葉を日常的に使い、その微妙なニュアンスを理解している人でなければ、この単語の本質的な意味を捉えることはできません。「丁寧」や「注意深い」との違いを日本語で説明できない人が、英語で使い分けられるはずがないのです。
抽象的な概念ほど母語力が必要
特に顕著なのが、抽象的な概念を表す単語です。「integrity(誠実さ、高潔さ)」「resilience(回復力、立ち直る力)」「nuance(微妙な差異)」といった言葉は、日本語でその概念をしっかり理解していなければ、英単語だけを丸暗記しても使いこなせません。
中学レベルの基礎単語は、具体的なものが多いため比較的覚えやすいのです。「apple(りんご)」「run(走る)」「blue(青い)」などは、視覚的イメージと直結しているため、母語の語彙力にそれほど依存しません。しかし高校レベル以上の単語になると、抽象概念や微妙なニュアンスの違いを表現するものが増え、母語での深い理解が不可欠になってきます。
あの塾の生徒たちが医学部や早慶に合格できたのは、大人との会話を通じて、こうした抽象的な概念を日本語で深く理解する力を養っていたからです。「resilience」という英単語を学ぶとき、彼らは既に「逆境から立ち直る力」「困難に直面しても折れない心」といった概念を、日本語で十分に理解していました。だから英単語も、単なる記号ではなく、生きた言葉として身につけることができたのです。
日本語の語彙を豊かにする方法
では、あの塾のような環境がない人は、どうすれば母語の語彙力を高められるのでしょうか。
まず、読書の習慣をつけることが最も効果的です。新聞、小説、評論文など、様々なジャンルの文章に触れることで、自然と語彙が増えていきます。わからない言葉に出会ったら、面倒がらずに辞書を引く習慣をつけましょう。
次に、言葉の言い換え練習も有効です。ある概念を別の言葉で説明してみる、類義語との違いを考えてみる、といった訓練が語彙の定着を助けます。「戦略」を「目標達成のための長期的な方針」「計画を実行するための大きな枠組み」など、複数の表現で言い換えられるようになれば、その概念の理解が深まったと言えるでしょう。
そして最も重要なのは、質の高い対話の機会を持つことです。あの塾が成功したのは、まさにこれでした。親、先生、メンターなど、大人や知識のある人と深い会話をする機会を積極的に作りましょう。
特に中高生にお勧めしたいのが、夏休みなどの長期休暇を利用して、他校の生徒たちと交流する機会を持つことです。最近では、様々なテーマで議論を行う中高生向けのディスカッションイベントや、社会問題について考えるワークショップなど、学校の枠を超えた学びの場が増えています。違う学校、違う地域、違う価値観を持つ同世代と出会い、意見を交わすことで、自分の考えを言語化する力が飛躍的に向上します。
こうした場では、SNSの短い言葉のやりとりではなく、顔を合わせて、じっくりと言葉を交わす経験ができます。自分の意見を正確に伝えるために適切な言葉を探し、相手の主張を理解するために語彙を駆使する——そうした経験の積み重ねが、母語を豊かにしていくのです。
また、日常会話でも意識的に語彙を広げる努力をしましょう。「すごい」「やばい」「ちょっと」といった便利な言葉ばかり使うのではなく、より正確で豊かな表現を心がけることで、自然と語彙力は向上します。
母語を鍛えることは遠回りではない
「英語を勉強する時間があるのに、なぜ日本語の勉強をしなければならないのか」と思う人もいるかもしれません。しかし、これは決して遠回りではありません。むしろ、母語を鍛えることは、外国語学習の効率を劇的に向上させる最短ルートなのです。
あの塾の生徒たちを見ていて確信したのは、しっかりとした母語の土台があれば、新しい英単語を学ぶときにそれを既存の知識体系に組み込むことができるということです。意味の理解が深まり、記憶も定着しやすくなります。さらに、母語での思考力が高ければ、英語で文章を書くときや話すときにも、より論理的で説得力のある表現ができるようになります。
偏差値50未満だった生徒たちが早慶に全員合格できたのは、彼らが特別な才能を持っていたからではありません。毎日塾に通い、大人と会話し、母語を徹底的に鍛えたからです。その土台の上に、英語や他の科目の知識が積み上がっていったのです。
まとめ
英単語が覚えられないと悩んでいるなら、一度立ち止まって自分の日本語力を見直してみましょう。日本語の語彙は十分に豊かでしょうか。抽象的な概念を正確に理解し、説明できるでしょうか。
母語を鍛えることは、すべての学習の基礎を固めることです。英語学習だけでなく、思考力、表現力、理解力のすべてが向上します。英単語が頭に入らないと感じたら、それは英語学習法を見直すサインではなく、母語の語彙力を鍛え直すべきタイミングなのかもしれません。
豊かな日本語力という土台の上に、英語力という建物を建てる——このアプローチこそが、真に使える英語力を身につける王道なのです。あの伝説の塾が証明したように、「馬鹿を天才に変える」秘訣は、母語を徹底的に鍛えることにあったのです。