「効率的じゃないからやらない」と言う子が、最も非効率な件
中学受験の勉強を見ていると、たまにこういう子に出会う。
式を書かない。英単語を書かない。ノートを取らない。
理由を聞くと、決まってこう言う。
「だって、効率的じゃないから。」
なるほど。一見すると、それは賢そうな発言に聞こえる。無駄を省く合理的な姿勢、とも取れる。
だが僕は必ず、こう聞き返すことにしている。
「じゃあ、効率的な方法って何?」
対案なき批判は、点数ゼロと同じ
この問いに答えられた子を、僕はまだ見たことがない。
「わからない」「ない」「…」
要するに、彼らは「今の方法が嫌」なだけで、「より良い方法を持っている」わけではない。
ここで整理しておこう。
仮に、理想の効率を10とする。式をちゃんと書いて、手を動かして、地道にやる今の方法が4だとしよう。確かに10ではない。効率的とは言えない。
だが、何もしない場合の効率は、ゼロだ。
4はゼロよりも大きい。これは算数の問題ですら、ない。
「非効率だから手を止める」という選択は、4を捨ててゼロを選んでいるのと同じだ。何かを批判するなら、少なくともそれより上の代替案を持ってくる義務がある。代替案なき批判は、ただの怠惰への言い訳だ。
「書く」という作業が嫌いな子の、本当の問題
僕が以前指導していた生徒の話をしよう。
その子は、とにかく書くことを嫌がった。算数の式を書くのが嫌。英語の答えを書くのが嫌。間違えた問題を書き直すのが嫌。
理由は一貫していた。「間違ったものを書いても意味がないから。」
これは、ある意味で正確な観察だ。間違いを繰り返しただ書き写すだけでは、確かに伸びない。
だがその子が言っていたのは「より正確な方法で書く」ではなく、「書かない」だった。
そして、その子の偏差値は上がらなかった。
中学受験の算数において、式を書かないということは何を意味するか。
頭の中だけで処理しようとしているということだ。だが人間のワーキングメモリには限界がある。複数の条件を同時に処理しながら、かつ計算ミスをしないというのは、大人でも難しい。
式を紙に書くのは、頭の外にメモリを拡張する行為だ。答えが正しくなくても、式に残った思考のプロセスは資産になる。どこで間違えたかが見えるからだ。
書かなければ、間違いの原因は永遠に霧の中だ。
「効率4」で走りながら「効率6」を探せばいい
勉強法に完璧な正解はない。
今の方法が4なら、走りながら6を探せばいい。6が見つかったら、8を目指せばいい。
問題は「今の方法が4だから止まる」という発想だ。止まった瞬間、効率はゼロになる。ゼロから6には行けない。4から6には行ける。
中学受験において偏差値40台から60台への逆転を果たした子の共通点は、「やり方を変えながらも、手を止めなかった」ことだ。
完璧な方法が出来上がるまで待っていた子は、試験当日を迎えられなかった。
今すぐ親がすべき、非情な一言
「効率的じゃないからやらない」と言う子どもに、優しく「じゃあ一緒に考えよう」と言うのは、親として理解できる反応だ。
だが、それは優しさではなく、先送りだ。
本当に子どもを信頼しているなら、こう言える。
「代替案がないなら、今の方法でやれ。より良い方法を見つけたら、そっちに変えればいい。走りながら考えろ。」
これは冷たい言葉ではない。問題解決の基本だ。
国際機関で政策立案に携わる人間も、スタートアップを立ち上げる経営者も、全員同じことをしている。完璧な戦略が揃うまで動かない人間は、いつまでたっても動かない。
子どもが「効率」という言葉を使うとき、それが本当に合理的判断なのか、それとも単に「やりたくない」を知的に包んでいるだけなのか。
見極めるのが、親の仕事だと僕は思っている。
まとめると、こういうことだ
効率を語る資格があるのは、今の方法より優れた代替案を持っている者だけだ。
代替案がないなら、今できる最善を続けるしかない。
そして、続けながら改善する。それが唯一の正解だ。
「効率的じゃないから手を止める」という選択肢は、受験においても、人生においても存在しない。
個別に戦略を組みたい方はこちら。あなたのお子さんが「効率4」の状態にあるとしたら、どこを直せば6になるかは、一度話せばだいたい見えてくる。