国語とAI
こんにちは、講師のニシオカです。
AI時代の今、文章の作成機能や要約機能が私たちの身の回りにも浸透し始めています。数百ページもの本を最後まで読まなくても、大まかな流れや結論が簡単に手に入る時代です。便利なことも多いですね。チャットGPTを利用する学生さんもかなり増え、読書感想文や作文の指導の依頼もたしかに減って来ました。日本における教育のあり方が、「多くのタスクを効率よく処理する」方向を目指している以上、避けられない状況だとも思います。
ただし、上記のような機能を活用した環境で、果たして失うものは無いのでしょうか。たしかに、本を読むのは時間がかかるし、それが外国語であったり、古典であったりすると言語習得への労力が欠かせません。文章を作るのもTPOに合わせた工夫が求められるし、言葉を選ぶのには教養や経験が必要です。しかし、それらを自分のこの身に実際に養うことは、人が生きる上での重要な意義にもなる、と私は思います。
例えば、古文で『源氏物語』を読もうと思ったら、古典文法、古文単語の知識は当然ながら学ばなければなりません。今とは異なる時代背景や習慣、常識も必要です。時間と労力がかかりますね。でも、そういった時間や労力の結果身につけたスキルは、他の古典作品を読むのにも活用できます。同時代の他の古典作品との比較において、『源氏物語』への理解もさらに深まることもあるでしょうし、筆者紫式部の『紫式部日記』に見られる価値観や発想の個性を知ることで、この物語の様々なシーンの描かれ方を興味深く読解することも可能です。
「〇〇のための△△」は、一見無駄がなく効率的に見えますが、「〇〇にしか使えない△△」であることも多いです。安易なよさげな道ばかりではなく、自分の頭で考えて、工夫して、誰からも奪われない知恵(思考力・行動力)を身につけることで、この人生がもっともっと豊かになると思います。そんな気持ちで今日も授業をします。
スマホやPCのさまざまな機能によって、スキル習得の機会が失われてしまうことも、忘れないでいたいですね。