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鶴田 オンライン家庭教師

はじめまして、鶴田慎吾と申します。子ども達からは「つる先生」と呼ばれています。 まず初めに...
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オンライン指導コース

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基本情報

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学歴

東京工業大学付属高校卒業(現 東京工業大学附属科学技術学園) 早稲田大学教育学部 理学科 卒業 証券会社、進学塾を経て海外進学塾代表を7年半勤め、帰国後に独立。 受験指導のみならず、不登校児・学習障害児・児童養護施設 などでの指導経験も生か す授業を心掛けています。

指導/合格実績

(高校受験) 3名以上の合格実績のみ 50音順 青山学院高等部/開智高等/慶応義塾志木高校/国際基督教大学高等/札幌北高校 成蹊高校/中央大学杉並高校/中央大学付属高校/時習館高校/東京学芸大学附属高等学校/東京工業大学附属科学技術学園 東京都立国際高校/桐蔭学園高校/桐光学園/八王子高校/函館ラ・サール高校/東京都立三田高校/明治大学附属明治高等学校 明治大学附属中野高校/立教新座高等学校/立命館高等学校/早稲田実業学校/早稲田大学高等学院/早稲田大学本庄高等学院 他 (中学受験) 3名以上の合格実績のみ 50音順 青山学院中等部/公文国際/佼成学園/駒場東邦/吉祥女子/品川女子学院中等部/洗足学園 渋谷教育学園渋谷 女子学院 十文字中学校/成城学園/豊島岡女子学園/世田谷学園/高輪中学校(算数受験)/広尾学園/日本大学第二/目黒日本大学 八雲学園/早稲田佐賀/早稲田実業学校中等部 他 (定時制・海外 他) 1名以上 日本中央競馬会/競馬学校/中央大学高等学校/日出高校/都立町田高校(定時制) /ドイツ桐蔭学園/早稲田シンガポール校/帝京ロンドン学園 他

自己紹介

自己紹介

はじめまして、鶴田慎吾と申します。子ども達からは「つる先生」と呼ばれています。 まず初めにお断りさせて頂きますが、この自己紹介でもお判りのように、今まで、そして、 これからも「生徒」という言葉を私は使用いたしません。信念ですね。 親御さんと子ども達が相談し、私がお子さんをお預かりします。その時間の責任は私にあ ります。責任者は私です。「時間制限付き保護者」なのです。ですから「生徒」という言 葉は一切使用しないのです。 私が子ども達を指導する上においてこだわる事は「合格」この最終地点だけです。 そこまで模試の結果、内申点、など様々なデータに一喜一憂する事もあるのでしょう。 しかし、全て、参考程度です。 指導の参考にはしますがそれよりも「目の前で問題を解いている子ども達、私の頭の中の データからの合格」このゴールだけにこだわります。 私の指導経験ですが、過去に苦しんだ事が今、生きているのかと思います。 詳細はあまりにも長い文章ですのでここでは時系列だけとさせていただきます。 ●中学1年で初めで学校の教壇からクラスの友人に勉強を教える。 ●高校を卒業してすぐに進学塾にて、時間講師として指導する。 6年間 ●証券会社を経て進学塾に就職し、国内で講師、教務に専念 3年半 ●海外校責任者に就任する。 7年半 ●帰国後家庭教師・教材執筆・児童指導員として独立 11年 初めて「勉強」というものを教えたのは中学1年の時なんです。私の中学校は1学年6クラスありまして、定期テストにおける「数学」の平均点が断トツのビリでした。2学期に担任の先生に呼びだされその事を知りました。 「学級会の時間・道徳の時間、週2時間、みんなに数学を教えて欲しい。」切羽詰まった担任の先生の表情に「はあ」としか返事がしよう無かったです。 今考えれば、中学生ですから教員免許も持っていない訳です。 「学級会、道徳、司会進行に鶴田君」恐らく担任の先生の日報にはこうでも記載してたの かなと思います。 プリントから自分で作りました。部活動で疲れてるのにと思いながらも。1週間に2時間、ただこの2時間は私、友人、双方にとても有意義だったと感じています。まず、教えているのが私、友人なので何でも言いやすいですよね。正直、私のクラスはこの「平均点断トツビリ」の通り、「真面目」とは程遠いどうしようもないクラスでした。 だがそれ故に出てくる言葉も面白く「つるちゃんさ、なんでXなのよ?めんどくせえし、英語なんかいらねえじゃん」とか。 「方程式なのに英語って・・。」すごい疑問点。でもこのように楽しい時間をみんなで作れてました。 それからは定期テストの2週間前になると私の実家で勉強会。学年が変わる度にクラス換えはありましたけど友達同士ではそんな事は関係ないんです。 今振り返ると、ド派手な学ラン来て髪の毛茶色の中学生が定期的に集結、異様な光景ですよね。 ちなみにこの「何でXなのよ?」は大学で学ぶ学問としての「数学」を学んだ方は説明できて当然でしょう。他の方にはなかなか難しいかと思うんです。この時から私の「武器」の蓄積は始まっていたのかと思います。 仕事としては、高校を卒業してすぐに進学塾の時間講師として子ども達を教えはじめます。18歳です。しかし、時間講師であろうが社員であろうが、親御さんと子ども達から見れば「先生」に変わりはないわけです。 「算数・数学」は多くの子ども達が苦手な科目なので父母会などで多くの質問や要望、叱咤激励を頂き講師として成長できる環境もすでに提供してもらえてたんですよね。 私の授業は手前味噌ですが、ものすごくわかりやすいです。これは先程の中学校1年からの経験の賜物ですね。授業をしながら「ここわかりづらい、このテキストの解説ダメだ。」 案の定、子ども達から「どうして~」話しながらも想定内です。授業中には頭より神経をフル稼働させています。 社員として進学塾に就職、学生の時の時間講師の時とはがらりと仕事内容が変わりました。「授業が分かりやすい」これは評価にならないんです。 当然の事なんです。「進路指導」つまり「合格実績」これが全てです。子ども達を合格させるにはどうしたらいいんだろう?これが次のステップでした。 「過去問だよ過去問!」最初に配属された校長から毎日のように言われ続けました。自分なりに解説を作り、見てもらい、「別の解き方考えな」「えぇー」この繰り返しです。要するに一つの問題に対して最低でも3パターンの解法が描けないと話にならないんです。 これは大学受験より高校受験、高校受験より中学受験において言える事です。 例えば、食塩水、濃度の問題では、「割合で」「面積図で」「天秤図で」こんな具合です。 そうした日々の経過と共に「問題解くなら、入試問題そのものがわかればいいのに」そう感じ始めました。ならば、自分で問題作ろう、ふとそう考えたんです。一度には無理です。まず一つの学校から。 「ここ良く出題される単元だな」「1行43文字か」「フォントは明朝体か」そのレベルまでこだわりました。後ろの二つは今は通用しません。出題者側に見破られています。「模試にて的中!」ですとか書き過ぎなんですよね。 出題する学校側も警戒します。 この文字数やフォントは数年置きにほとんどの学校で変わるんです。その年が作問者交代、問題の傾向も変わる年です。こうした試行錯誤の上に、自分で予想問題を作れる様になりました。ここまでくると教材会社にも「内容が時代に合ってない」「今の子ども達にこんな解説通用しない、使えない」進言するようにもなりました。 このお付き合いがあったからなんですね、独立後、仕方ないな、って教材を書いて提供するようになったのは。でも、これが進学塾の社員なんです。 バブル経済の崩壊と共に多くの企業が人件費削減のために海外へと拠点を求めるようになります。家族で海外赴任、当然子ども達も海外へ。各国に日本人学校が設立されます。 今、その数は80を超えています。そこに子ども達がいる限り進学塾も追随するように海外進出し始めたのです。 私が在籍していた進学塾もニューヨークとロンドンにまず進出する事となりました。ロンドンの最初の代表に就任したのが私です。後日知る事になるのですがこの人事を強く推してくださったのが私が最初に配属された教師の校長です。 その方は今は誰もが知る大手進学塾の NO.2、取締役かつ、私の入試の情報源です。 こうして日々が流れる事9年半、私の国内での授業に終止符が打たれます。この前半で言える事は「やる気にさせる」「褒めて伸ばす」教育業界における広告の決まり文句ですが、逆に「やる気がない」「叱れば伸びる」こんな子どもに会ったことはなく、親御さんがお子さんに干渉し過ぎると子ども達の成長が止まります。 とは言いましても子ども達を見てイライラ、何やってんだか、その気持ちもわかります。だからこそ、私は「時間制限付き保護者」親御さんと子ども達のクッションになるように努めているという事です。 1時間も2時間も喧々諤々の議論になる事もしばしばあります。それは親御さんからの要望であり、指導の中に組み入れなければならない事と考えております。「単元」というのは各科目決まっているので、指導する材料は毎年同じです。 しかし、子ども達は十人十色、親御さんも十人十色、ですから、同じ授業は存在しないですし存在させてはいけない、こう考えていす。 海外では7年半、これはもう想像を絶する世界でした。海外駐在員、お父様は仕事場がありますよね、子ども達には学校がありますよね、お母様方には何のビザもないんです。パートに出る事も出来ないんです。こうなりますと自然と子ども達に目が行くんです。 国内と比べればお母様方の要望は月とスッポン。 月1回のテストで少しでも成績が下がった時にはもう大変。授業中にもかかわらず教室に入り込んでくるお母様もいました。「先生、私にも算数を教えて下さい、先生が塾で、私が家で子どもに勉強を教えます。」と懇願するお母様ですとか。今はインターネットがありますよね。当時は無いんです。国際電話かパソコンでのメール、FAX それだけです。情報がないんです。ですから親御さんの心配は尽きなんですね。わかるんです。 それでも私がブレなかったのは自分の頭の中のデータがあったからです。A 君の成績が急降下してしまったとしても、第一志望校の出題傾向で頻出の単元の成績は伸びている。 この場合、A 君には迷わず Go サイン。そのままでいい。何を言われてもこのペースでいい。 「目の前で問題を解いている子ども達、私の頭の中のデータからの合格」にこだわれるのはそうした裏付けがあるからなんです。今、私が子ども達に伝えようとしている事。それは私の頭の中のデータです。そのデータをどう生かすかは子ども達それぞれに考えさせます。どういう結論を出しても大丈夫。 私の教え子の合格実績は北海道から関西圏まで、レベルもそれぞれ、進路もそれぞれです。どの子ども達にも全力で指導してきたので50音順でしか書けないんです。ただ、勉強でも何でも私に着いてきてもらうようでは困るんです。 一緒に走りましょう、そしてできる事なら私を追い抜いていって欲しいですね。 そう簡単に負けないので。

はじめまして、鶴田慎吾と申します。子ども達からは「つる先生」と呼ばれています。 まず初めにお断りさせて頂きますが、この自己紹介でもお判りのように、今まで、そして、 これからも「生徒」という言葉を私は使用いたしません。信念ですね。 親御さんと子ども達が相談し、私がお子さんをお預かりします。その時間の責任は私にあ ります。責任者は私です。「時間制限付き保護者」なのです。ですから「生徒」という言 葉は一切使用しないのです。 私が子ども達を指導する上においてこだわる事は「合格」この最終地点だけです。 そこまで模試の結果、内申点、など様々なデータに一喜一憂する事もあるのでしょう。 しかし、全て、参考程度です。 指導の参考にはしますがそれよりも「目の前で問題を解いている子ども達、私の頭の中の データからの合格」このゴールだけにこだわります。 私の指導経験ですが、過去に苦しんだ事が今、生きているのかと思います。 詳細はあまりにも長い文章ですのでここでは時系列だけとさせていただきます。 ●中学1年で初めで学校の教壇からクラスの友人に勉強を教える。 ●高校を卒業してすぐに進学塾にて、時間講師として指導する。 6年間 ●証券会社を経て進学塾に就職し、国内で講師、教務に専念 3年半 ●海外校責任者に就任する。 7年半 ●帰国後家庭教師・教材執筆・児童指導員として独立 11年 初めて「勉強」というものを教えたのは中学1年の時なんです。私の中学校は1学年6クラスありまして、定期テストにおける「数学」の平均点が断トツのビリでした。2学期に担任の先生に呼びだされその事を知りました。 「学級会の時間・道徳の時間、週2時間、みんなに数学を教えて欲しい。」切羽詰まった担任の先生の表情に「はあ」としか返事がしよう無かったです。 今考えれば、中学生ですから教員免許も持っていない訳です。 「学級会、道徳、司会進行に鶴田君」恐らく担任の先生の日報にはこうでも記載してたの かなと思います。 プリントから自分で作りました。部活動で疲れてるのにと思いながらも。1週間に2時間、ただこの2時間は私、友人、双方にとても有意義だったと感じています。まず、教えているのが私、友人なので何でも言いやすいですよね。正直、私のクラスはこの「平均点断トツビリ」の通り、「真面目」とは程遠いどうしようもないクラスでした。 だがそれ故に出てくる言葉も面白く「つるちゃんさ、なんでXなのよ?めんどくせえし、英語なんかいらねえじゃん」とか。 「方程式なのに英語って・・。」すごい疑問点。でもこのように楽しい時間をみんなで作れてました。 それからは定期テストの2週間前になると私の実家で勉強会。学年が変わる度にクラス換えはありましたけど友達同士ではそんな事は関係ないんです。 今振り返ると、ド派手な学ラン来て髪の毛茶色の中学生が定期的に集結、異様な光景ですよね。 ちなみにこの「何でXなのよ?」は大学で学ぶ学問としての「数学」を学んだ方は説明できて当然でしょう。他の方にはなかなか難しいかと思うんです。この時から私の「武器」の蓄積は始まっていたのかと思います。 仕事としては、高校を卒業してすぐに進学塾の時間講師として子ども達を教えはじめます。18歳です。しかし、時間講師であろうが社員であろうが、親御さんと子ども達から見れば「先生」に変わりはないわけです。 「算数・数学」は多くの子ども達が苦手な科目なので父母会などで多くの質問や要望、叱咤激励を頂き講師として成長できる環境もすでに提供してもらえてたんですよね。 私の授業は手前味噌ですが、ものすごくわかりやすいです。これは先程の中学校1年からの経験の賜物ですね。授業をしながら「ここわかりづらい、このテキストの解説ダメだ。」 案の定、子ども達から「どうして~」話しながらも想定内です。授業中には頭より神経をフル稼働させています。 社員として進学塾に就職、学生の時の時間講師の時とはがらりと仕事内容が変わりました。「授業が分かりやすい」これは評価にならないんです。 当然の事なんです。「進路指導」つまり「合格実績」これが全てです。子ども達を合格させるにはどうしたらいいんだろう?これが次のステップでした。 「過去問だよ過去問!」最初に配属された校長から毎日のように言われ続けました。自分なりに解説を作り、見てもらい、「別の解き方考えな」「えぇー」この繰り返しです。要するに一つの問題に対して最低でも3パターンの解法が描けないと話にならないんです。 これは大学受験より高校受験、高校受験より中学受験において言える事です。 例えば、食塩水、濃度の問題では、「割合で」「面積図で」「天秤図で」こんな具合です。 そうした日々の経過と共に「問題解くなら、入試問題そのものがわかればいいのに」そう感じ始めました。ならば、自分で問題作ろう、ふとそう考えたんです。一度には無理です。まず一つの学校から。 「ここ良く出題される単元だな」「1行43文字か」「フォントは明朝体か」そのレベルまでこだわりました。後ろの二つは今は通用しません。出題者側に見破られています。「模試にて的中!」ですとか書き過ぎなんですよね。 出題する学校側も警戒します。 この文字数やフォントは数年置きにほとんどの学校で変わるんです。その年が作問者交代、問題の傾向も変わる年です。こうした試行錯誤の上に、自分で予想問題を作れる様になりました。ここまでくると教材会社にも「内容が時代に合ってない」「今の子ども達にこんな解説通用しない、使えない」進言するようにもなりました。 このお付き合いがあったからなんですね、独立後、仕方ないな、って教材を書いて提供するようになったのは。でも、これが進学塾の社員なんです。 バブル経済の崩壊と共に多くの企業が人件費削減のために海外へと拠点を求めるようになります。家族で海外赴任、当然子ども達も海外へ。各国に日本人学校が設立されます。 今、その数は80を超えています。そこに子ども達がいる限り進学塾も追随するように海外進出し始めたのです。 私が在籍していた進学塾もニューヨークとロンドンにまず進出する事となりました。ロンドンの最初の代表に就任したのが私です。後日知る事になるのですがこの人事を強く推してくださったのが私が最初に配属された教師の校長です。 その方は今は誰もが知る大手進学塾の NO.2、取締役かつ、私の入試の情報源です。 こうして日々が流れる事9年半、私の国内での授業に終止符が打たれます。この前半で言える事は「やる気にさせる」「褒めて伸ばす」教育業界における広告の決まり文句ですが、逆に「やる気がない」「叱れば伸びる」こんな子どもに会ったことはなく、親御さんがお子さんに干渉し過ぎると子ども達の成長が止まります。 とは言いましても子ども達を見てイライラ、何やってんだか、その気持ちもわかります。だからこそ、私は「時間制限付き保護者」親御さんと子ども達のクッションになるように努めているという事です。 1時間も2時間も喧々諤々の議論になる事もしばしばあります。それは親御さんからの要望であり、指導の中に組み入れなければならない事と考えております。「単元」というのは各科目決まっているので、指導する材料は毎年同じです。 しかし、子ども達は十人十色、親御さんも十人十色、ですから、同じ授業は存在しないですし存在させてはいけない、こう考えていす。 海外では7年半、これはもう想像を絶する世界でした。海外駐在員、お父様は仕事場がありますよね、子ども達には学校がありますよね、お母様方には何のビザもないんです。パートに出る事も出来ないんです。こうなりますと自然と子ども達に目が行くんです。 国内と比べればお母様方の要望は月とスッポン。 月1回のテストで少しでも成績が下がった時にはもう大変。授業中にもかかわらず教室に入り込んでくるお母様もいました。「先生、私にも算数を教えて下さい、先生が塾で、私が家で子どもに勉強を教えます。」と懇願するお母様ですとか。今はインターネットがありますよね。当時は無いんです。国際電話かパソコンでのメール、FAX それだけです。情報がないんです。ですから親御さんの心配は尽きなんですね。わかるんです。 それでも私がブレなかったのは自分の頭の中のデータがあったからです。A 君の成績が急降下してしまったとしても、第一志望校の出題傾向で頻出の単元の成績は伸びている。 この場合、A 君には迷わず Go サイン。そのままでいい。何を言われてもこのペースでいい。 「目の前で問題を解いている子ども達、私の頭の中のデータからの合格」にこだわれるのはそうした裏付けがあるからなんです。今、私が子ども達に伝えようとしている事。それは私の頭の中のデータです。そのデータをどう生かすかは子ども達それぞれに考えさせます。どういう結論を出しても大丈夫。 私の教え子の合格実績は北海道から関西圏まで、レベルもそれぞれ、進路もそれぞれです。どの子ども達にも全力で指導してきたので50音順でしか書けないんです。ただ、勉強でも何でも私に着いてきてもらうようでは困るんです。 一緒に走りましょう、そしてできる事なら私を追い抜いていって欲しいですね。 そう簡単に負けないので。

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スポーツ観戦(ラグビー・野球・バレーボール) 園芸(家庭菜園・ベランダ菜園)

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