古典

古典文法なぜマスターできないの

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2025/3/20

古典文法がなかなか覚えきれないという生徒が本当にたくさんいます。覚えきれないというのは実際は違っていて、本当はこれまで一度も本腰を入れて取り組んだことがないということなのですが、いずれにせよほぼ全員と言っていいと思います。自信がありますという生徒もごくまれにいますが、よく調べてみると使えるレベルになっていない。


理由は妥当性のない文法用語、文法認識の提示と、その丸暗記の強要です。「英文法」なるものがあると知った日本人が約150年前に慌てて即席でつくったものである上に、これまでほとんど何の改善も施されてこなかったから、そうなってしまっているのです。高1の春に初めて出会う「動詞」の深い理解が、全古典文法の基礎中の基礎なのに、そのことが教師にも生徒にもほとんど全く自覚されず、次テーマとして現れる「最も大事」と誤解された「助動詞」に早く入らないとなどと妙に焦ってしまうために、流されてしまうのが原因なのです。「動詞」を徹底的に理解しさえすれば自ずと助動詞も助詞も、文章読解のために実践的にコンパクトに再編成された形で素早く正しく習得できるのに、上記のような制約が慣習として定着してしまっているせいで、この秘訣に誰も気づけなくなっているのです。それに対して大学入試問題制作者は、どこの大学の制作者も、そのような制約からはとっくに抜け出ています。取り残されているのは高校の教科書と受験業界だけなのです。


私は哲学者として大学入試古典文法の詳細な分析を行い、知識の正しい系統を発見しました。この系統に沿って理解していけば、比較的楽に習得することが可能であるばかりか、入試問題の成り立ちそのものを直接反映しているので、受験生が入試問題に対する深い洞察力もって効率よく解答していくことができるようになります。私はこの方法論を使って、これまで36年間いろんな場面で多くの受験生を指導し、心がちゃんと受験に向かい合えている受験生ならほぼ一人の例外もなく、比較的短期間に古典文法をマスターさせてきました。意外と簡単で面白いというのが生徒たちが抱く共通の印象になっているようです。目からウロコと皆、口をそろえます。哲学というとなんだか暗くて難しそうなどと誤解されていますが、それは過去数十年に少なからず存在してきた偽物の哲学者たちのせいです。本当の哲学は物事をわかりやすく、あかるくするものです。世にはびこる偽物には哲学だけではなく十分注意しなければなりません。


授業では質疑応答を通して生徒の学力を一緒に少しずつ構築していきます。生徒の学力が今この瞬間にどのような状況にあるのかを的確に見抜く目があると自負しています。授業そのものも結構盛り上がることが多いです。居眠りする生徒などこれまで一人もいませんでした。勉強は本当は面白いものなのです。


宿題は前回の授業内容の徹底的な見直しです。授業そのものが自ずと前回の授業内容の理解度を調べる確認テストの側面も帯びてきます。文法の習得が目的だから文法問題集を使うなどという愚かなことはしません。あれらはほとんどすべてがインチキです。私の授業では入試問題に実際に取り上げられた文章を教材にして動詞の理解を徹底的に深めていきます。すると動詞そのものや助動詞、助詞の深い理解はもちろん、古文読解とはそもそも何なのかの理解も自然と身についてきます。現代語に訳しながら読むのは、かえって古文の理解から離れてしまうし、そもそもが時間の無駄。あるやり方を守りさえすれば誰もが古文をそのまま理解することができる。大学入試問題もまさにそのような理解をこそ求めているということが無理なく実感できるようになります。

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