“正解らしい自分”を演じ続けていませんか?――ヘーゲルとキルケゴールから考える受験と自己理解
「将来の夢は何ですか?」
総合型選抜や学校推薦型選抜では、必ずと言っていいほど問われる質問です。
しかし私は、受験指導をしていて、いつも不思議に思うことがあります。
それは、多くの生徒が「正解らしい答え」は言えるのに、「自分の言葉」を持てずに苦しんでいることです。
「社会に貢献したいです」
「多様性を学びたいです」
「主体的に学びたいです」
もちろん、これらは間違いではありません。
しかし対話を重ねていくと、途中で生徒の言葉が止まる瞬間があります。
「……でも、本当はよくわからないです」
「なんで自分がこれをやりたいのか説明できません」
「これ、本当に自分の考えなんでしょうか」
私は、その瞬間こそが“学び”の始まりだと思っています。
実はこの問題、単なる受験テクニックではなく、哲学の問題でもあります。
■ 「変わりたい」のに変われない理由
ドイツの哲学者ヘーゲルは、人間は「安全な場所」にいる限り、本当には変われないと考えました。
人は誰でも、
・失敗したくない
・嫌われたくない
・正解を選びたい
と思っています。
しかし、それだけを優先していると、「既に知っている自分」の範囲から出られません。
たとえば受験でも、
「こう書けば受かりそう」
「こう言えば評価されそう」
だけで文章を書くと、“本当に考えていること”には辿り着けなくなります。
つまり、「受験用の自分」を演じ始めるのです。
しかし、本当に強い志望理由書や小論文は、そこから一歩踏み込んだところにあります。
「なぜ私はこれに違和感を持つのか」
「なぜ私はこのテーマを気にしてしまうのか」
そういう、自分でも説明しきれない部分に触れた文章には、独特の説得力があります。
■ 「本当の自分」は簡単にはわからない
一方で、デンマークの哲学者キルケゴールは、「自分らしく生きること」の難しさを深く考えた哲学者でした。
彼は、「群衆は真理ではない」と言いました。つまり、「みんながそう言っているから正しい」という生き方では、人は本当の意味で自分にはなれない、ということです。
これは現代の受験にも当てはまります。
最近は、
・主体性
・探究
・課外活動
・社会貢献
などが重視されます。
しかし、その結果、「受験映えする自己物語」が大量に流通しています。
本当は悩んでいるのに、
本当はまだ答えが出ていないのに、
「ちゃんとした自分」を作ろうとしてしまう。
しかしキルケゴールは、人間はそんなに簡単に「本当の自分」を見つけられないと言いました。
むしろ、
「自分とは何か」
「本当にこれでいいのか」
と迷い続けることそのものが、人間らしさなのだと考えたのです。
■ わたしが大切にしていること
わたしは授業で、「正解を与えること」だけを目的にしていません。
もちろん、
・現代文の読解
・小論文の構成
・志望理由書の書き方
・英語の論理構造
など、受験に必要な技術は教えます。
しかし、それ以上に大切にしているのは、
「その問いは、本当にあなた自身の問いなのか?」
を一緒に考えることです。
最初は言葉にならなくても構いません。
「なんか気になる」
「うまく説明できない」
「でも放っておけない」
そういう感覚の中に、その人だけのテーマが眠っていることがあるからです。
受験は、単なる試験ではありません。
ときには、「自分は何を大切にしたいのか」を考える、すなわち「自分とは何か」をとことん誠実に考える機会にもなります。
だから私は、単に“受かるためだけの言葉”ではなく、“その人自身の言葉”を一緒に探したいと思っています。