ちょっと一息:30歳をこえてからの初めてのイギリス留学
いつもは受験情報や学習のヒントなどについてお話しているのですが、今日は少し一息入れて留学中のお話をしたいと思います。以前はロンドンにある国立公文書館についてのお話をしましたが、今回はイングランド北部の街、ヨークを訪れた時のことについてお話します。
私が初めてイギリスを訪れたのは、30歳のときでした。それまでは、本当に自分でもあきれるくらい英語ができない人でした。大学受験ではなんとか一時的に成績を上げたものの、大学4年間で英語に触れることをさぼっていたこともあり、一応大学は卒業させてもらったのですがw、サラリーマン時代に受けたTOEICは惨憺たる有様でした。脱サラして大学院でイギリス史を勉強し始めてからも、英語の論文を読むのに四苦八苦している状態で、英語での質疑応答などは夢のまた夢といったところでした。
ですが、人生には時として「やらざるを得ない」状況が訪れます。大学院でイギリス史を専門にすることを決めた私は、否応なく英語という壁と向き合うことになりました。一次史料も研究書も英語ばかり。いくら歴史が好きでも、これでは研究になりません。「武田君、大学院でイギリス史をやりたいなら英語できないと話にならないよ。」と指導教授からのあたたかい言葉をいただいたこともあり、「むぅ、これは何とかせんとあかん。」ということになりました。
そこで思い切って、なけなしのお金をはたいてロンドンへ語学留学することにしました。私が中学、高校生だった頃は今ほどネイティブの先生と関わる機会はありませんでしたので、どこか「英語を話す」ということについて苦手意識がありました。これを克服したいと思い、また「スポーツ選手だって移住した先でしゃべれるようになるのだから、勉強に努力を集中している自分が行って話せないわけがない」という謎の思い込みをもとに、とりあえずは飛び込んでみようという気持ちで行くことにしました。
1ヵ月という短い期間ではありましたが、英語に囲まれた環境の中で、少しずつ英語に対する苦手意識が薄れていくのを感じました。もちろん、最初の数日は聞き取れない・話せない・伝わらないの三重苦です。語学学校の受付のお姉さんには、テストを解いた後で「あんた、何しに来たのw」くらいの勢いで失笑されましたw ですが、買い物ひとつ、バスに乗るだけでも「英語を使って生きる」経験の連続は、教科書で勉強するだけでは決して得られない学びでした。私はどうも「やってみないと分からない」という経験を重視するタイプのようで、そうしたタイプの人にとっては「とりあえず飛び込んでみる」というのはとても効果的なアプローチである気がします。また、大学ではなく語学学校に留学したせいか、ギリシアから来ていたNATOの軍人さんや、中東の某国の外交官の妻など、出自の様々な人たちと交流を持てたことは大変貴重な経験となりました。
語学留学をして日本に帰国して少しした後、私は大学院でお世話になっていた教授に紹介されて、教授の恩師が教鞭をとられていたイングランド北部のリーズ大学に聴講生として1年間お世話になることになりました。リーズは落ち着いた地方都市で、学生生活にはぴったりの場所です。
到着して1週間ほどが過ぎたころ、寮に住む学生たちと一緒に、「ヨーク観光ツアー」に参加する機会がありました。ロンドン以外の街をじっくり見て回る機会はそれまでなかったので、胸を高鳴らせて参加したことを覚えています。当時の私は30歳をこえていて周りは20歳前後の学生たちばかりでしたが、みんな快く仲間として受け入れてくれました。
ヨークは、イングランド北部にある小さな歴史ある街です。ロンドンのような派手さはないものの、街全体がまるで中世の香りをまとっているかのような不思議な空気に包まれています。まず目をひいたのが街を囲む城壁です。実際にその上を歩くことができ、かつての中世都市の面影を肌で感じることができたことはイギリス史の研究を始めたばかりの私にとっては大変興味深く、貴重な経験でした。街の中心には壮麗なヨーク・ミンスターがそびえています。そのたたずまいの美しさとスケールの大きさに、ある種の感動を覚えます。
また、ディーンズパークという大聖堂横の公園では、リスたちが我が物顔で芝生を走り回っていて、その愛らしさに癒されました。広くて開放感があり、芝生も美しく、観光で歩き疲れた足を休めるにはぴったりのスポットです。この場所は、中世にはヨーク・ミンスターの聖職者たちの活動の場であったそうで、現在も宗教的儀式が行われることがあるそうです。敷地内には記念碑や彫刻も点在し、歴史への敬意が込められた空間でした。すぐ近くには、かつて聖職者の住まいだった聖ウィリアム・カレッジもあり、重厚な雰囲気に思わず見入ってしまいました。
街歩きをしていると、古い石造りの建物が立ち並ぶシャンブルズにたどり着きます。ここでは偶然にも、ストリートミュージシャンの演奏や、パントマイムを披露するパフォーマーたちに遭遇し、思いがけない楽しさに包まれました。
高台にそびえるクリフォードの塔では、城壁から見下ろす街並みがまるで絵本のよう。さらに、ヨーク城博物館では、ヴィクトリア朝時代の街並みが再現されており、歴史好きの私にはたまらない空間でした。
このヨーク旅行を通じて、寮の仲間たちとの距離もぐっと近づきました。母語も文化も異なる人たちと、一緒に歩き、驚き、笑うという体験は、語学の壁を越えて心が通じ合う瞬間を何度も感じさせてくれました。
この日を境に、イギリスという国が、単なる研究対象ではなく、肌で感じることができる「好きな場所」であり自分の「生活の場所」へと変わっていったように思います。遅咲きの経験ではありましたが、だからこそ見える景色もあったと思います。本を読むだけでは知ることができないイギリスの風景が、私の学びをより深く、豊かなものにしてくれたように思うのです。