なぜあなたの国語の力は上がらないのか?【評論文編①】
2025/7/9
みなさんこんにちは!講師の富岡です。
私は最難関大入試のさまざまな科目の指導をかれこれ10年続けているわけですが、さまざまな科目を指導しているからこそ国語って難しい科目だなと感じます。
ちょっとやっぱり他の科目とは毛色が異なるからこそ、出来不出来がはっきりしているし、指導者の力量が問われるものだとつくづく思います。
今回から「なぜあなたの国語の力が上がらないのか?」について、教材・模試作成、国語教員免許保持、全国模試1位取得をした私がお話ししてみたいと思います。
今回は【評論文編①】ということでお話しします。
まず、多く挙げられている一般論をいくつかご紹介します。
①評論文なんてセンスで左右される科目だ。
②読書が重要だ。
③傍線部付近に正解がある。
これらが国語の力が上がらない最たる例です(②は慎重を要します。別記事で考察します)。
今回は①に反駁(はんばく)していこうと思います。
①評論文なんてセンスで左右される科目だ。
まず、この言説は非常によく耳にするものですね。また、その気持ちも痛いほどわかるものでもあります。
ですがまず、「センス」というものがあまりにぼやっとしていないでしょうか?
おそらく「センス」とは、何か先天的なものを指しているのかもしれません。もしくは家庭環境によって(つまり勉強の場以外で)変わるものだということを指しているのかもしれません。
確かに、そのような考えもあるかもしれません。しかし、入試という場を考えたとき、「センス」なるもので差がついてしまうのであれば、それは作問の失敗と言わざるを得ません。
あくまでも入試なのです。選抜試験なのです。
何もノーベル賞を取りに行くわけではないのです。
そこにはきちんと“正解”があり、制限時間内にそれにたどり着くことができれば良いわけです。
一般に言われている「センス」は、何か先天的なもの、家庭環境的なものが含意されていると先ほど述べました。
そういう意味の「センス」ではない、別の意味での〈センス〉を磨くことで評論文の点数は劇的に上がるのです。
では、別の意味での〈センス〉とは何か?
それは、
①論理関係を探ることができる。
②段落同士の関係をまとめることができる。
③設問の要求を正しく把握できる。
④比喩が何を意味しているのかがわかる。
⑤豊富な語彙を身につけている。
⑥抽象的な文章の背後にある重要テーマに習熟している。
⑦正確な日本語文法への理解を有している。
以上です。
これらは何も先天的「センス」ではありません。後天的に意識して身につける〈センス〉なのです。
これらを意識して身につけていないから、評論文の力が上がらないのです。
大事なのは〈意識して〉身につけるということです。〈センス〉とは後天的に〈意識して〉身につけ磨いた感覚のことを指すのです。
閑話休題。私の過去について少々お話ししましょう。
私はもともと理系の人間です。物理や化学、数学Ⅲなんかをがっつりやっていたわけです。
国語は理系科目のようにちゃんと“正解”が弾き出せるものだなんて当時は考えていませんでしたし、そもそも興味がありませんでした。
私にとって国語は“つまらないもの”の代表だったのです。
だからこそなのか、私の問いは「なぜ国語はかくもつまらないのか?」になっていき、「どうにかできないものか」になっていき、気づけば研究対象になっていました。
そうすると色々見えてくるのですね。あまりにも自分が国語に対していい加減な目で見ていたか。
大学でも研究を重ねることになり、力だめしで受けた模試で全国1位を記録、ある程度の確信を得て、現在では模試作成などもやっているという次第です。
さて、ここで述べたかったのは、私は先天的に、または家庭環境的に国語ができるような中にはいなかったということです。
悲しいかな読み聞かせなどもしてもらえなかったですから、語彙の習得なども他の人より幾分も劣っていました(付言しますが、語彙習得の環境はかなり大事であり、私はそれを否定するつもりは毛頭ありません。できるなら家庭の中でそれを身につける環境を整えてあげるに越したことはないのです)。
そうした遅れを全て取り戻し、研究を積んで今の自分があるのです。
私は「センス」こそないが〈センス〉は身につけたのです。
私が研究してきたことは秘蔵するまいと思い、授業という形で還元しています。
「センス」というぼやっとした言葉に逃げずに、先に挙げた7項目を磨いて欲しいのです。
とはいえ、独学で磨くのはかなり大変だと思いますし、どうやって具体的に身につけるべきかがわからないと思います。
だからこそのプロの授業なのです。
どうせ国語なんて誰の授業を受けたって変わらないと思っている人こそ、プロの先生方の授業を受けてみて欲しいのです。
はっきりいます、
“全然違います“
文章を前に考えることが楽しくなってくるはずです。
受講してよかったとなるはずです。
評論文なんてどうせ「センス」の科目だ、と思い込んで自分に都合のいい世界に逃げ込んだままの人は、やはり国語の力が上がらないと言って良いでしょう。
次回は「②読書が重要だ。」について述べていきたいと思います。
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