「専門は哲学です」という私に現代文を教わるメリット
たまには気楽にブログを書こうと思い、今回は掲題のとおり、「専門は哲学です」という私に現代文を教わるメリットについてお話申し上げたいと思います。
メリットはおそらく3つあると思います。
ひとつは、非常に直接的なことですが、例えば早稲田大学はドゥルーズやメルロ=ポンティといった日本人にあまり馴染みのない(日本ではほとんど誰も研究してない)哲学者の概説書から問題文が採られることが多いです。
その理由は、おそらく1つには、ほとんどの受験生が内容を全く知らないからです。全く知らないことが書かれてある文章を読もうと思えば、文章の構造に依拠して読むしかありません。すなわち、構造読解力が問われます。フランス現代思想というのは日本人にほとんど馴染みがない、つまり私たちの常識の範疇外の何らかの概念が書かれてあるわけですから、100%構造読解力が問われるーー私にしてみれば、非常に良問であると言えます(毎年のように解答で揉めていますが・・・・)。
そういった問題文を読み解く場合、問題文の構造に依拠するのみというよりか、フランス現代思想がどのようなものかざっくりでもいいので知っておいた方が、問題文を読みやすいものです。また、選択肢を選びやすいものです。
というわけで、大学受験に必要な哲学や倫理学の基礎をとても簡単に教わることができる――これは私のような哲学を専門とする先生に教わるメリットであるといえるでしょう。
予備校でも、例えば東進予備校の永井先生は哲学がご専門であるどころか、大学でも哲学を教えておられるそうですが、永井先生が東進で哲学の基礎を教えておられるかどうか、私は知りません。人見読解塾にお通いになられている生徒さんの中で、永井先生の授業を受けた方が、永井先生の授業の解説をしてほしいと言って、東進ハイスクールの教材をもとに私が解説したことが2回ありますが、私の知る限りでは、哲学概論を永井先生が教えておられるということはないようです。あくまでも私の知る限りにおいて、ですが。
2点目。私が教えている読解テクニックは、大学教育に必須の能力です。構造読解力がないと、大学教育を受けるのが非常にしんどいはずです。なぜなら、はじめて触れる学問領域における概説書や入門書を読むとき、何を頼りに読むかというと、文の構造を頼りに読むしかないからです。内容がわからないものをはじめて勉強するわけですから、文章の構造に依拠して著者が何を言ってるのかをとるしかない。
構造読解力というのは、哲学書を読む基礎でもあるのです。
3点目。これは非常に大きな視野における話になります。文章に限らず、この世のものは全て構造を持っています。親子関係にも構造がありますし、ひとりの人間の心にも構造があります。会社組織にも構造があります。もちろん、日本社会にも構造があります。
構造というのは、善悪や好悪の判断以前に、「すでにそこに存在しているもの」です。事実として存在するものを、善悪や好悪の判断抜きに、まさにそこにあるものとしてまず認める。この力がないと対話が成立しません。それどころか、人に騙されやすくなります。浅薄な人生になります。
物事の構造を洞察する力があれば、どこまでも深く、物事を追究することができます。その必然の結果、豊かな人生になります。