【国語論】果報は寝て待てな語彙力
語彙力は、長い時間と豊かな語彙環境の集積で身につく能力です。
では、豊かな語彙環境のために親ができることは?
その答えが「果報は寝て待て」――「気長に待つ」です。
もしかしたら「放置」の方が近いかもしれません。
本を読んでほしくて知育にいいとされる本を調べ、
買ってきて我が子におすすめするも、
「いらない」の一言で撃沈……ということがあると思います。
本を買ってくるまでの行動は、
環境を整えるという点ではとても良いです。
その後、親がやるべきことは
子どもの見えるところに置いておき、
いつでも手に取れるようにしておくことです。
私は奈良で発行されているママさん向けのフリーペーパーで、
幼児教育の大学教授のインタビューページを
数年にわたって担当しています。
絵本や遊びを研究する教授たちが口を揃えて言うのが
「絵本もおもちゃも子どもの周りにそっと置いておいて
興味が沸いたらすぐ読めたり遊べたりする環境が大事」ということ。
見守り、機が熟すのを待つ姿勢が必要だとか。
そういえば私も小学生の低学年の頃、
家にあったこども百科事典を読んで読書にはまりました。
うちの親は本をまったく読まないのですが、
親戚が買ってくれたのか私の部屋にだけ本棚があって、
そこに分厚い事典がズラッと並んでいたのを覚えています。
書道を習いはじめ、漢字も習得して
読めるようになったことがうれしかったのだと思います。
暇があれば図書室に通う子ども時代が始まりました。
仏教が由来の「果報は寝て待て」。
仏教における「果」は自分の行いから生まれる結果のことを、
「報」は自分の行いによる報いのことを指します。
良し悪し両方の意味を持つ果報。
良い結果をもたらすには良い行いが必要で、
できることをやった上で
焦らず待つことが肝要だということでしょう。
語彙力をはじめ、子どもの成長の多くは
「果報は寝て待て」なのかもしれませんね。