古典文法を学ぶときの視点
皆さんは、古文の文法を勉強するとき、どんな意識で取り組んでいますか?
なぜ文法の勉強が必要なのか、わかって取り組めていますか?
テストに出るから?
いいえ、その答えは正しくありません。
共通テストなどでは、文法が直接単体で問われることはありません。(学校の定期テストではあるかもしれませんが)
入試で直接問われないのに、なぜ文法の勉強が必要なのでしょうか?
それは「文章を読解するため」に文法が必要だからです。
文章を読解する際、その文に否定が含まれているか、疑問・反語表現があるか・・・などを文法的に理解しないと正確に解釈できません。だからまず文法を勉強するのです。
「文章を読解するため」という視点で、文法の勉強を進めることが大切なのです。
例えば、助動詞の「べし」について。
「す(推量)い(意志)か(可能)と(当然)め(命令)て(適当)」と複数の意味を頑張って覚えますよね。ですが、「すいかとめて」を覚えて満足しているようでは結果につながりません。「べし」の意味を6つ答えよ、なんて問題は入試ではでないんですから。
「こういう場面では推量、この形で出てきたら可能」と文章中に出てきたとき、自分で意味を識別できるところまで勉強しておくことが必要なのです。
助動詞「き」「けり」は、ともに過去の意味がありますが、違いを説明できますか?違いを説明できたとして、その違いを知っていることが文章読解においてどう役立つのか説明できますか?
「き」「けり」の学習は、ここまで深掘りしておく必要があります。
文法の問題集をただ機械的に解くだけでは、中途半端な知識しか身につきません。せっかく頑張ったのに、結果が出にくく勿体ないです。
文法を勉強するときは、「文章中ではどんな形で出ているのかな?今勉強してることをどうやって読解に活かそうかな?」といったことを意識してみてください。この意識があるかないかで、理解度が大きく変わってきます。
丸暗記でない文法学習で結果を出していきましょう!