「うちの子だけは」のエゴイズム
2022/7/28
◆ 我が子を思う親
万葉集の歌をひとつご紹介したい。
- 若ければ 道行き知らじ 賂(まひ)はせむ したへの使ひ 負ひて通らせ(5・906)
歌意は大よそ「我が子はまだ幼いものですから、冥土への行き方を知りません。お礼はいたしますので、黄泉の国のお使いさん、我が子を背負って連れて行ってください。」くらいである。
この短歌形式(5・7・5・7・7)の歌は、或る長歌に添えられたものである。その長歌に歌われているのは、だいたい次のようなことである。
- 愛しい我が子のことを思えば、セレブの欲しがる金銀財宝など、取るに足りない、くだらない。愛しい我が子は、朝も昼も夜も傍にいて離れない。別に立派な人にならなくてもいい。早く成長した姿を見てみたいと思っていた矢先のことであった。我が子を突然の病魔が襲った。どうしてやることもできずに、必死に天地の神に祈るも、我が子は次第に痩せ細っていく。そうして遂に絶命してしまった。地団駄を踏み大声を上げて泣く。うつむいて胸を手を当てて嘆く。これが世の中というものなのか。
この長歌の内容を知ると、短歌に見られる浅はかさも少しは軽減されるように思われる。つまり、短歌において親は「我が子に楽をさせてやりたい。金ならある。」というわけであるが、その我が子は突然の病に苦しんで亡くなったのであるから、その親の心情も分からなくはないということである。長歌における激しい哀傷は、短歌(反歌)において少し落ち着いているように読める、「せめて少しでも楽をさせてやりたい」と切に願っているのである。
◆ リアルな親のこころ
ただここで吟味の手を休めてはならないと思う。黄泉の国の使者に賄賂を渡す以外に方法はないのかということである。この親は「自ら命を絶って、我が子を背負って行くつもりはない」のである。ここには率直に認めなければならないリアルなエゴイズムがある、「さすがにそこまではできない」という。死にそうな我が子に、できることなら代わってやりたいと思う親は多いだろう。しかし、もう死んでしまった子のために、自分の命を投げ出すことはほぼないだろう。
私は人の親になったことがない。だから、親のエゴイズムを理解しようとしても、美化されたエゴイズムのかたちでなければ、納得することができない。親の子に対する「真情」がそこになければ肯定することはできない。今回取り上げたエゴイズムは、私にとってはギリギリ理解できるかできないかの境界線上にある。歌なのだから、「できることなら死んでついて行ってやりたい」と歌ってほしかった。
◆ 塾と親
塾という所は、親のエゴイズムの「最終処理施設」である。
無論、九割九部九厘の親はきちんと自らのエゴイズムを浄化していること、また塾の方もプロフェッショナルとして、甘ったれたエゴイズムなどは手厳しく撥ね付けることは注記しておきたい。
本当に運悪く千に一つ「手のつけようのないエゴイズム」を掴まされた担当者の苦悶は、察するに余りある。
・息子が京大に入ることだけを願って、塾に延々と難癖をつけてくる京大出身の男親。
・支払いが滞っているにもかかわらず、授業を受けさせろという男親。
・現実的な志望校の提案に対して、「最後まで励ますべきだ」などと精神論を語る男親。
はっきり申し上げたい。
・休職してご自身で指導なさったらどうだろうか?
・もはや顧客ですらない。お帰りください。
・これまで十分に励ましてきたし、足りないのなら是非ご家庭でなさったらどうだろうか?志望校を決定するのは、最終的には本人である。可能性としての提案と強制的な決定との区別ができないのですか?
おそろく普段はごく普通の社会人であると思う。しかし、いざ子供のこととなると、高度な知性を持った人間が単細胞生物に成り下がってしまう。こういった事例を目の当たりにして、私は「親の教育までせねばならないのか」と途方に暮れた記憶がある。しかし、「私は教育者として…」などと高邁な理念に自惚れて諭そうなどとは思わないし、ただ平謝りを重ねる奴隷に成り下がろうとも思わない。喧嘩別れを恐れずに、はっきり反論するのが最も気持ちがいいと思っている。
因みに一人目の京大出身の男親は、授業料を返せとまで言ってきたらしい。もはや契約もへったくれもない。「金ならある」と言った万葉の親のほうが、よほどましに思える。
子供が大病を患うことなく元気でいることだけでも、有り難いことではないだろうか。
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