英語

花子が太郎に財布を盗まれた。〜日英の受身文を考える〜

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2019/11/23

突然だが

「窓が太郎に割られた」

を英語で言えるだろうか?


ひとつの例としては

“The window was broken by Taro.”

と言える。


では

「花子が太郎に財布を盗まれた」

は英語でどう言うだろうか?


“Hanako was stolen her wallet by Taro.”

のように考えた人はいないだろうか。

実はこれは誤りである。

正しくは

“Hanako had her wallet stolen by Taro.”

と言える。


日本語は表面上どちらも同じ受身文のように見えるのに英語で表現が変わってしまうのは何故であろうか。


以下に3つの日本語の受身文を挙げてみる。


私はパーティーに招待された。

私はおばあさんに道を尋ねられた。

私はトムに足を踏まれた。


それぞれを英訳してみると以下のようになる。

❶ I was invited to the party.

I was asked the way to the station by a lady.

I had my foot stepped on.


❶と❷はbe+過去分詞による受身文になっているが、❸はhaveを使った表現となる。

❸を*I was stepped on my foot.とすることは出来ない。


①②③の日本語はおそらくどれも受身文だと感じられるだろう。

しかし何故英語では表現が変わるのか。

それはそれぞれを能動文に直してみるとヒントが見えてくる。


能動文に直すと

①’(誰かが)私をパーティーに招待した。

They invited me to the party.

②’おばあさんが私に駅までの道を尋ねた。

A lady asked me the way to the station.

③’(誰かが)私の足を踏んだ。

Someone stepped on my foot.

となる。


①’②’と③’の違いが分かるだろうか。

①’②’は動詞の目的語が私(me)であるのに対して、③’は動詞の目的語が私の足(my foot)である。


③は受身文だと「私」が文に現れたにも関わらず能動文(③’)だとあくまで文に現れるのは「私の足」だ。

③’で英訳を入れたが、これを見た上で「受身文にしなさい」と言われたらおそらく

My foot was stepped on.

(私の足は踏まれた)

と答えるのではないだろうか。

そしてこの文は誤りではない。


実は日本語の受身文には大きく分けて2つの種類がある。

「直接受身文」「間接受身文」である。

直接受身文とは、能動文における動詞の目的語(〜を、〜に)を主語にした文のことである。


私をパーティーに招待した。

私はパーティーに招待された。


おばあさんが私に駅までの道を尋ねた。

私はおばあさんに駅までの道を尋ねられた。


このように能動文において「〜を」「〜に」になっている部分を主語に据える。

直接受身文は能動文と対応しあった言い方だと言える。


これに対して間接受身文は、能動文と対応しあった関係とは言えないのである。

この間接受け身文の主語は「出来事全体の影響を受ける人」となる。


誰かが私の足を踏んだ。

この「誰かが私の足を踏んだ」という出来事に影響を受けているのは「私」である。

間接受身文で言えば「私は誰かに足を踏まれた」となる。


冒頭の「花子が太郎に財布を盗まれた。」も実は間接受身文である。

これを能動文に直してみると「太郎が花子から財布を盗んだ。」となる。

直接受身文として考えれば「盗んだ」対象はあくまで「私の財布」であるが、「太郎が財布を盗んだ」という出来事全体から影響を受けているのは「花子」である。


この間接受身文の一部は英語ではhave(またはget)を使った表現である程度表すことができる。


一部としたのは、言うまでもなく全ての表現をこれで言い換えることが出来るわけではないからである。


例えば


私は赤ん坊に泣かれてしまった。


能動文に直すと「赤ん坊が泣いた。」となる。

「泣く」は自動詞なので目的語を持たない。

よって英語でこれを受身文として表現することは出来ないのだ。


あえて英語で言えば“I made the baby cry.”と言えるかもしれないが、これはどちらかと言えば「泣かせた」のニュアンスに近く、「泣かれた」という日本語の語感からはおそらく離れてしまうだろう。


このように日本語の受身文は必ずしも同じように英語で受身文として表現できるわけではない。


日本語の受身文には直接受身文と間接受身文とがあり、特に間接受身文はそのまま受身文として英訳することが出来るわけではないことは頭の片隅に置いておいても良いだろう。

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