算数は「毎日やるもの」——一日休むと失われる、言語化できない感覚の話
中学受験の勉強を「週5日やってます」と言う家庭がある。
残りの2日は何をしているか聞くと、「お休みです」とか「社会と理科をやってます」という答えが返ってくる。
算数は?
「週末は少し休ませて……」
なるほど。そういう家庭の子を教えると、だいたいわかる。授業の最初の15分で、休んだかどうかが透けて見える。
算数はスポーツであり、音楽である
スポーツの世界に「一日休むと取り戻すのに三日かかる」という話がある。音楽の世界でも似たようなことが言われる。一流のピアニストが練習をさぼると、まず指が動かなくなるのではなく、「感覚」が先に鈍る。
算数も、まったく同じ構造を持っている。
二日休んだ生徒を見ると、まず計算速度が落ちる。これは誰でも気づく。しかし本当に怖いのはそこではない。
問題を見てから「どう解くか」に気づくまでの時間が、明らかに遅くなっている。
以前教えていたKさんは、二〜三日の空白があると、だいたい本来の実力の70%くらいのスピードしか出なくなる。計算ミスが増えるのではなく、解法への「入り口」に辿り着くのが遅れる。問題を前にして、エンジンの点火が鈍くなる感じ、と言えばいいだろうか。
脳の問題か、感覚の問題か
これは脳科学的に説明できるのかもしれないし、できないのかもしれない。
僕が「感覚」と呼んでいるものがある。
漁師のおじいさんが、晴れた空を見て「今夜は嵐になる」と言う。理由は説明できない。しかし長年の経験が積み上げた、言語化できない根拠がある。これは、馬鹿にできない。
算数も同じだ。
問題を見た瞬間に「あ、これはこう解くやつだ」とわかる子がいる。これを「センスがある」と片付けてしまう人がいるが、僕はそう思っていない。その感覚は、毎日の積み上げの中で磨かれたものだ。論理の前に働く直感、説明できないけれど確かにある「嗅覚」みたいなもの。これが算数の実力の、かなりの部分を占めている。
そしてこの感覚は、連続性が途切れると急速に錆びる。
毎日やる、ということの本当の意味
「毎日算数をやらせましょう」と言うと、多くの親は「1時間」とか「大量の問題」を想像する。
違う。
隙間時間の5分でいい。10分でいい。
国語をやって、社会をやって、少し飽きてきたところで計算問題を10問解く。それで十分だ。量よりも、「感覚の糸を毎日つなぎ続ける」ことに意味がある。
この感覚の糸は、繊細だ。二日も放置すれば緩み始める。一週間空けたら、また結び直すところからやり直しになる。
「週に5日、しっかりやってます」という家庭の子が、「毎日10分だけ」やっている子に追い抜かれる理由はここにある。
感性は生まれつきではなく、習慣で作られる
センスのある子は「感性」を持っている。これは正しい。
ただ、その感性は訓練で磨ける。まず量をこなして、次第に質を上げていく。当たり前のことに聞こえるが、この「当たり前」を毎日続けることが、ほとんどの家庭にはできていない。
才能のある子が失速する。地味な子が逆転する。
その分岐点はたいてい、「毎日やっていたかどうか」だ。
才能は連続性で磨かれる。連続性は、習慣でしか作れない。
算数は、毎日やるものだ。これは方針ではなく、この教科の性質から来る結論だ。
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